劇団綺畸稽古場ブログ

劇団綺畸は、東京大学と東京女子大学のインカレ演劇サークルです。名前の由来は「綺麗な畸形」。

晴れ時々

20歳のやつが何言ってんだって感じですが

人生ってやっぱまあまあしんどいじゃないですか

時々休みたいじゃないですか

そういう感じではなかったですけど

中高で僕はそういう感じで時々休んでたんです

1学期に1回

だいたい体育がない時

自主休講、休養日、サボタージュ、ズル休み

言い方は何でもいいんですがとにかくそういう感じで

あ、朝は親に起こしてもらってたんですけど

起きたくないって言って起きずに

学校に休みの電話を入れてもらって

親が出勤したら

いそいそと布団を出てプレステの電源を入れる

そして2時くらいにのそのそ弁当を食べて

頭が痛くなるくらいまでゲームして

夕方の方が体調悪いんじゃないかってぐらいで

親が帰ってくる前に布団に戻る

そんな日が18回ぐらいあったと思います

今思えばアホだなあと思いますが

特別な、かけがえのない雨やどりだったと思います

なんつって(笑)

国崎

 

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劇団綺畸2018年度夏公演
『竜骨の上で児戯』
作・演出 中石海
6/14(木) 19:00
15(金) 19:00
16(土) 14:00/19:00
駒場小空間
全席自由席
入場無料・カンパ制
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ブログ上で児戯

中学・高校時代の話をしろと言われたので、中学・高校時代の話をします。中学・高校時代、僕は生来の顔面偏差値の高さもあり、非常にモテました(笑)。成績優秀・才色兼備・スポーツ万能・話術の天才・歩く姿は百合の花。これでモテない方がおかしいですよね。言うまでもない。靴箱がラブレターでパンパンになって上履きが取り出せず、しばらく裸足で授業を受けていた時期もありました。
そんなこんなでモテモテの中高生活を送っていた僕ですが、成績も超優秀でした。といっても頑張って勉強していい点を取るわけではなく、試験前もほとんど勉強はしていませんでした。地頭がいいってことですかね(笑)。休み時間にはクラスのみんなが僕のところに「勉強を教えてくれ!」と懇願しに来たものでした。交換条件に昼飯ぐらい奢らせてもよさそうなものですが、そこは人徳のある僕のこと(笑)、邪険にすることなく、一人一人丁寧にLectureしてあげました。いや、なんで急に英語使うねん(笑)。
これほど素晴らしい中学生・高校生だった僕ですが、常に謙虚な気持ちを忘れず、驕り高ぶることはありませんでした。そのチャレンジャー海淵よりも深い人徳に心惹かれ、僕の周りには常に、僕の人徳を慕う人々の影が絶えませんでした。教師・生徒を問わず皆が僕を深く尊敬し、見習おうとしました。これからも、僕の最大の魅力の一つであるこの「謙虚さ」を、周囲に向けて積極的にアピールしていきたいです。
最後になりましたが、僕が今まで書いてきたことは全て嘘です。そもそも僕は男子校出身。もしモテたら困っちゃいますよね(笑)。ついでに言えば、僕が通っていた中学・高校に靴箱はありません。『竜骨の上で児戯』、ご来場お待ちしてます。

役者・映像・web
加茂周

 

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劇団綺畸2018年度夏公演
『竜骨の上で児戯』
作・演出 中石海
6/14(木) 19:00
15(金) 19:00
16(土) 14:00/19:00
駒場小空間
全席自由席
入場無料・カンパ制
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まだ思春期でした

中高の頃、私の学年は「あの××期」と言われる悪名高い学年でした。
中高一貫で偏差値はそこそこ、校則は厳しめ、という学校だったので、悪名と言ってもたかが知れてますけど。
ボールぶつけて窓ガラス割るとか、マリオのまねして天井に穴あけるとか、まれに授業崩壊起こしてみるとか、そんなもんです。

それでも、他学年より人数が多いせいもあってか、先生たちには何かあるとすぐに説教されました。
学年集会ではもちろん、学校集会でもです。
基本的に高3から順番に体育館から教室に帰されたのですが、必ずうちの学年は残されてました。例えば中2の時は「中学3年生帰ってください」からの「中学1年生帰ってください」という風に。
当然私たちはそれに慣れ、いつも立ち上がりもせず居残る態勢に入ってました。

それが高3になって残されなくなると、慣れなくて私はいつも慌てて立ち上がって帰ってました。
なんとなくつまんなく思いながら。

今にしてみれば、毎回説教されることは、
「うちの学年は問題児=特別」っていう思春期らしい感覚を満たすだけじゃなくて
「先生たちにしっかり見てもらえてる」って確認できてたってことなんだなぁと思います。
だからこそ叱られなくなって寂しいようなつまんないような気持ちになったんですね。

などと1、2年前の自分を他人のように感じるのも、この前2コ下の後輩と喋ったせいですね。
彼らも「うちの学年は問題児だらけなんだ」って楽しそうに話してました。
出てくる武勇伝もうちの学年と似た感じ。
私はといえば、心の中で「君らの学年はうちの代の弟妹が多いから、きっと血のせいだ」って思ってました。

2コ下と張り合ってましたね笑

 

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劇団綺畸2018年度夏公演
『竜骨の上で児戯』
作・演出 中石海
6/14(木) 19:00
15(金) 19:00
16(土) 14:00/19:00
駒場小空間
全席自由席
入場無料・カンパ制
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コンクリート

 高二の四月、文化祭で行った演劇部の公演は中高時代を通して最も辛い記憶かもしれない。まとまらない部員、生まれない進捗、舞台美術のために校庭から100キロを超える岩を勝手に持ち込み、それが転がって壁に穴をあけて怒られたり、そのために食堂から勝手に借りた台車を返さず怒られたり、河原から運んだ土嚢20袋分の小石を土足禁止の教室にばらまいて怒られたり、通常18時までしか残れない学校に延長申請もせず20時まで残って怒られたり、ゲネ(本番と同様に上演するリハーサルのようなもの)までに台詞を覚えられず、見ていた先生に「もういい」といわれて上演が中止されたり、あとこれはバレなかったので怒られなかったが、外から借りてきた台を壊したり、掲示許可を取り忘れて慌てて台本に「演劇部公演12時から」とマジックで殴り書きしたチラシを学校中に貼り、終演後客出しを終えてすぐに剥がしに行ったりもした。当然、公演の準備期間の部内は「やべえ」という空気一色で、忙しいなか部員がわざわざ作った衣裳や音楽も結局使わず、本当に公演を終わらせることができたのが不思議なくらいキツい公演だった。
 でも、戯曲は最高だった。図書館で昔の高校演劇の台本を漁っていたらでてきたもので、今ではプロの劇作家になった横内謙介が高校時代に書いた『山椒魚だぞ!』という戯曲で、題名のダサさに反してその内容は高校生が書いたとは思えないほどに洗練されていた。井伏鱒二の『山椒魚』をモチーフに書かれた戯曲で、抽象性が高く話の流れもあまり覚えていないのだが、その中に出てくる暴走族のリーダーの台詞を、ぼんやりとだが未だに覚えている。
「人間なんてのはなぁ、コンクリートに頭ぶち当てて中身引きずり出さなきゃ中身なんてわからねぇんだよ。ぶち当てる前からビビッて逃げてんじゃねえよ。自分から扱いやすくまとまろうとしてんじゃねえよ」
かなりあやふやだがこんなセリフだった。

昔からそうだったのは確かだが、自分は以前よりさらに扱いやすい人間になってしまった人間になってしまったように思う。扱いづらい人間がいい人間という訳では決してないだろうが、情熱を持たなければそれは死んでいるのと同然なのは、きっとそうなのだろう。

役者・映像二年 中村光

 

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劇団綺畸2018年度夏公演
『竜骨の上で児戯』
作・演出 中石海
6/14(木) 19:00
15(金) 19:00
16(土) 14:00/19:00
駒場小空間
全席自由席
入場無料・カンパ制
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怪物

夏公演で脚本と演出やる中石です。
とりあえず、一旦1行空けてからさして面白くもないことをダラダラ書き連ねます。
読むのめんどくさいなと思ったら、次の1行空きまで飛ばしてください。
なんかやたらとたくさん書いてんな、ということさえ伝われば、その後の文章を読む上では差し支えないです。

僕が初めて書いた脚本が、僕らの代の新人公演『無題、あるいは歪曲するガラスケースの寓意。』です。このタイトルの由来は2つあって、1つ目は、2年前国立新美術館で開かれた「ダリ展」で見た《無題、あるいは分子の騎馬像》という絵画。2つ目はダミアン・ハーストという現代美術家の、ガラスケースを使った作品《一千年》。僕がダミアン・ハーストを知ったきっかけはというと、高校の頃の美術の先生が『美術手帖』という雑誌のハースト特集号を貸してくれたことです。『無題、あるいは〜』の舞台美術には牛骨を使ったんですが、この牛骨を貸してくれたのも同じ先生です。ちなみに、去年の夏公演『鴉神話』の舞台美術も僕がやったんですが、その時の木を模した装飾物の作り方を相談する時にも、僕は高校の美術室へ相談に行きました。この装飾、狩野山雪の《老梅図》をイメージして作ったんですが、僕が《老梅図》を知ったのは、日本の現代美術家村上隆による紹介からです。村上隆を知ったのは中学で最初の美術の授業なんですが、僕は中高一貫校に通ってたので、この中学はさっきの高校と同じ学校ということになります。この学校の隣には村上隆の運営する「カイカイキキギャラリー」というギャラリーがあって、ここの展示には今でもよく行きます。「ダリ展」をやってた国立新美術館は同じ学校から歩いていける距離にあります。同じく歩いていける距離には森美術館というのもあって、ここでは村上隆が3年前に「五百羅漢図展」という個展をやってました。話を『無題、あるいは〜』に戻します。この劇ではダミアン・ハーストの《一千年》を始めとして、いろいろな作品を引用しました。一部を挙げると、円城塔の短編「つぎの著者につづく」、ウラジーミル・ソローキンの小説『ロマン』、イタロ・カルヴィーノの小説『冬の夜ひとりの旅人が』などなど。円城塔は現在僕が一番好きな作家で、彼の師匠筋に当たる金子邦彦という教授が東大の統合自然科学科にいて、僕はそれがきっかけで現在この学科にいます。という自己紹介を学科ガイダンスでしたら、その話が金子邦彦に伝わってさらに円城塔にまで伝わったらしく、先日円城塔の講演会に行った時に「円城さんがきっかけで統合自然科学科に進学します」と発言したら、円城塔当人から「君か」と言われました。金子邦彦と昔一緒に研究していた池上高志という人も東大にいて、僕はこの人の授業を受けたことがあります。この人は渋谷慶一郎という作曲家と一緒にサウンドアートをやったりもしていて、僕が渋谷慶一郎という名前を最初に知ったのは『美術手帖』に載っていたボーカロイドオペラ『THE END』についての記事で、この時読んだ『THE END』のあらすじが、『無題、あるいは〜』の原型の原型を考える上でインスピレーションを与えてくれました。ソローキンの『ロマン』を知ったのは受験のために通っていた河合塾が毎年出している、おすすめ本の載っているパンフレットで、『ロマン』を勧めていたのとは別の河合塾の現代文講師と『ロマン』の話でちょっと盛り上がったことがあります。この先生は僕と同じ高校の卒業生で、この先生が企画した高校の特別授業を、僕はたまたま受けていました。この特別授業で舞城王太郎という作家を知ったのですが、この作家の『九十九十九』という作品の過剰なまでの入れ子構造は、『無題、あるいは〜』に影響を与えている気がするし、『好き好き大好き超愛してる。』という作品の幼稚な愛の謳い方に僕はとても共感していて、去年の冬公演『ダイアローグは眠れない』には同じ幼稚さがある気がします。河合塾のまた別の現代文講師からは木村敏の『時間と自己』を紹介されたことがあって、この本で参考文献として挙げられていた渡辺慧『時』もその後読みましたが、この本に書いてある時間論が、『ダイアローグは〜』の主要なテーマです。『ダイアローグは〜』の話を考える時の最初の着想は『冬の夜ひとりの旅人が』から得ました。あと、ソローキンの作品で一番最近邦訳された小説『テルリア』の設定は、今回の公演『竜骨の上で児戯』の設定を考える上で参考にしてます。『竜骨の〜』のテーマは椹木野衣の『日本・現代・美術』に負っているところが大きいんですが、僕が椹木野衣のことを知ったのは、彼が『美術手帖』に良く批評を書いてるからで、ちなみに村上隆の批評も良く書いてます。話を『無題、あるいは〜』にもう1回戻すと、この劇のやろうとしてたことは、僕がかつて読んだダグラス・R・ホフスタッターの『ゲーデルエッシャー、バッハ』に近い気がするんですが、大学入試の時、現代文の課題文がホフスタッターの別の著書『アメリカの反知性主義』の引用から始まっていて、驚いた記憶があります。とまあ、こんな感じで無限に続けられる勢いなんですが、一旦切ります。これちゃんと全部読んだ人いるんだろうか。

さて、『無題、あるいは歪曲するガラスケースの寓意。』から始めて、3つの美術作品、1つのオペラ、2つの展覧会、2つの美術館、1つのギャラリー、1つの雑誌、6つの小説、4つの評論、3つの劇、15の人名(数え間違ってるかもしれない)を数珠繋ぎしてみました。
これはほんの一握りで、その気になればもっともっと繋いでいける。
何が言いたいかというと、一つの作品なり人間なりが、どれだけ多くの他の作品ないし人間と、因果みたいなもので繋がっていて、そしてそれがどれだけ複雑に絡み合っているか、ということです。
そういう他の作品ないし人間の一つ一つにもまた、大体同じくらいたくさんの作品ないし人間が繋がっているはずで、しかもそれらの一つ一つに豊かな内実がある。
なんていうか、途方もない。ほんとに。
僕が1冊本を読むごとに、1本劇を観るごとに、この途方もない網目はまた一層絡み合っていくわけで、これだけわけのわからん怪物的な何かを紡ぎながら、なんやかんや僕という人間が前に進んでいっているように見えるのは、なんかすごい。
それを75億も抱き込んで平然としているこの世界の総体となると、もう想像すら及ばない。
怖いというよりは、ただただ「凄いなあ」という感じで、自分もその凄さの一端の一端を担ってる、というのが、短絡的ではあるが誇らしい。

今回の夏公演を観てくれる人がどれだけいるかわかりませんが、公演を観にやってきた一人一人の抱える怪物的な何かは、この公演のせいでより一層怪物的になるに違いなく、こういうやり方で僕は、劇団綺畸は、世界の一端を担っているのです。多分。

 

作・演出
中石海

 

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劇団綺畸2018年度夏公演
『竜骨の上で児戯』
作・演出 中石海
6/14(木) 19:00
15(金) 19:00
16(土) 14:00/19:00
駒場小空間
全席自由席
入場無料・カンパ制
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新人公演稽古場ブログができました。

劇団綺畸2017年度新人公演『虚像を抱いて死ね』の稽古場ブログを開設しました。

新人一同、公演準備に励んでおります。公演とともにこちらのブログも楽しんでいただければ幸いです。

 

 劇団綺畸2017年度新人公演稽古場ブログ

終演しました

終演しました。
100分という長尺にも拘わらずご来場くださった皆様、ありがとうございます。
つつがなく公演を終えることができて、ほっとしています。


「丸くなったね」とか「人間になったね」とか、最近たまに言われます。
まあ当社比の話ではあるんでしょうが。

新人公演と今回の公演を比べると、自分でもそう感じます。
新人公演の脚本はやりたいことを詰め込むようにして書いたけど、今回の脚本は、日常的なテーマに沿って淡々と書いた感じでした。
なので、新人公演の方がおもしろかったと言う人はいて、けれど一方で、今回の方が好きだと言ってくれる人もいて。
良くも悪くも、新人公演のような脚本は今は書けないだろうし、今公演のような脚本は新人公演の頃は書けなかっただろうし。
当たり前の話ですね。

劇をつくり始める時に頭にあるイメージは、当然のことながら完璧ではないし、劇をつくってる間にどんどん変わっていきます。
脚本は改稿されるし演出も変更されるし、プランナーと話してる間に舞台も音響も照明も衣裳も当初のイメージからはずれていく。
けれどできあがった劇を客席から眺めると、とてもしっくり来る。
これが今の自分がつくりたかったものなんだという気がする。
これは、新人公演でも今公演でも感じたことです。

自分がどう変わるか、変わる前からは知るよしもない。
けれど変わった後にそれが自然なことのように思えるなら、たぶん間違った方向には行ってないんでしょう。
ほんと、当たり前の話ですね。

次の公演のとき自分はどう変わってるんだろう、なんてことを、今は考えています。

 

作・演出
中石海