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劇団綺畸稽古場ブログ

劇団綺畸は、東京大学と東京女子大学のインカレ演劇サークルです。名前の由来は「綺麗な畸形」。

思い出せない

忘れっぽいです。

今起きたこと、言われたこと、しようとしていたこと、3歩も要らずに忘れます。

あとから思い出せることもあるのですが思い出そうとしていたことすら忘れて何かが闇に葬られることもしばしば。

数秒前に考えていた重要なことをぱこぱこと忘れ去る一方で、ことあるごとにふっと思い出すのはいつかもわからないどうでもいいワンシーンばかりです。

米を研いでいる途中、兄に「米を濃いとぎ汁に浸しておかないこと」と言われたワンシーンを今でも米を研ぐ時はかならず思い出してしまいます。兄は私が中学に上がると同時に上京したのでそれを言われたのは小学生の頃だった可能性が大。なにせ、前後関係もその時の季節も思い出せず、その一言を言われた瞬間だけが繰り返し再生されるのでその時私が何歳だったかは憶測の域を出ません。

もっと小さい頃、保育園に入る前か、入った少しあとか、そのくらいだろうと思うのですが、家の庭で何かをして遊んでいた私に母が「おませな娘だね」と言った瞬間はより鮮やかです。春のような気がします。ぽかぽかした陽気、当時は生えていた少しばかりの芝生、簡易な幼児用のブランコ、垣根、熟していない実がついたブルーベリーの木、おもちゃのショベルカーが草を分けた庭の道に置いてある…ぼんやりとしているのにはっきりと、矛盾するようですがそのように映像が浮かびます。

これらの印象的なワンシーンの記憶はどれも映像的で、そこだけ切り取られて何度も再生されますが、一体私たちはどこでこの映像を見ているのでしょう?

その映像を思い出す時、現在網膜に写っているものを脳は処理しているでしょうか?

何か単語を思い出す時、その単語は文字で見えますか?それとも音声でしょうか。

私が思い出すワンシーンたちは、映像のようで、しかし眼前に像が結んでいる訳ではなく、音声がついている訳でもない気がします。けれども、思い出している最中、私たちの意識は現実を認識しなくなります。

捉えどころがありません。不確定です。

脳内で起きる「思い出す」という営みは雲を掴むような曖昧さの塊に思えてならないのですが、我々はそれを断固として信じ拠り所にして生きている。なんとも不思議なことです。

ここまで書いて読み返したら件名と全く違う話になっていました。

書いている間に、最初に書こうとしたことを忘れたんだと思います。

回想は畸なりです。

小林

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劇団綺畸2016年度冬公演

『回想畸譚』

作・演出 岩崎雅高

12/22(木) 19:00

23(金) 19:00

24(土) 14:00/19:00

25(日) 14:00/19:00

駒場小空間

全席自由席

予約不要・カンパ制(料金自由設定制)

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