劇団綺畸稽古場ブログ

劇団綺畸は、東京大学と東京女子大学のインカレ演劇サークルです。名前の由来は「綺麗な畸形」。

守宮

母方の祖母の家が建て変わったのは6年前の、たしか初夏、だった。

覚えている限りでは、はじめて足を踏み入れたのは三歳とき。それから四五年間が空いて建てて替わる前の数年間――叔父がまだ独身だった頃や、祖母の家がまだ祖父母の家だった頃――私たち兄妹は頻繁に遊びに行っていた。

家に上がり手を洗うと、真っ先に仏間に行く。仏壇の隣には床の間があって季節ごとに掛軸が変わっていた。その片隅にはガラスケースに入れられた日本人形。窓辺の棚には何やらいかめしい香炉があった。仏間の端には叔父の結婚をきっかけに買った黒檀の卓が寄せられていて、大人数で食事をするときはその周りを囲んだ。小学校に上がる前によく仕事から帰ってきた叔父に遊んでもらったのも仏間だった。

仏間で手を合わせたあとは、台所でおやつを食べる。祖父母の家で出される林檎は蜜が多くてとても甘かった。お昼どきに行くと祖母が、夏には素麺、冬には鍋焼きうどんを作ってくれたものだった。壁に母の絵。カウンターの写真立てには、祖父母と私たち兄妹が旅行に行った時の写真。叔父が家庭を持ったあとは従弟の写真や叔父一家と写った写真もどんどん増えていった。

何か食べたあとは居間で祖父と、あるいは兄妹でテレビを観ながらくつろいでいた。柱には小さな振り子時計がある。ときおり、本当にときおりだったけれど、ボーン、ボーンと刻の数だけ鳴る時計だった。もっと小さかった頃には居間の炬燵で昼寝をさせられていた。私はなかなか寝付けずに、早く寝ないと灸するぞ、とおどされたのを覚えている。

くつろぐのに飽きたら応接間に行った。応接間は北向きで、夏場は少しひんやりしていた。アンティーク調のランプに、ガラスの卓。革張りのソファ。壁には鹿の頭や錦蛇の皮が飾られていて、そこだけヨーロッパの家みたいだった。応接間の隅にはかつて母が使っていたピアノ。触ってみたくて家でメヌエットの右手だけ覚えてみたり、ねこふんじゃったを練習してみたりした。どちらもものにはできなかったけれど。

応接間の隣には物置になったかつての母の部屋がある。開けるとすこし日陰の匂いがした。怪しげな箪笥が置いてあったり、雛人形やかき氷機がしまってあったり、表に出ないものの大方がそこにあった。

物置から仏間の端まで縁側のような廊下が続き、古ぼけた「冷蔵庫2号」がぽつんとあった。叔父のビールや私たちが出してもらったジュースはすべてそこからやって来くる。夏場に寝そべると黒鉄の風鈴がきこえる。

6歳か5歳かのときには2階でよくかくれんぼをしたものだった。2階にはベランダの他に祖父母の寝室と叔父の寝室とがあった。
叔父の寝室には母のものと思しき人魚姫のオルゴールと、うっすら埃のかかったランプとがあった。叔父のベットはスプリングがよくきいていて、隠れるのにはあまり向いていない。
祖父母の寝室にはたくさんの記念メダルやコイン。アテネトリノのずっと前、長野や札幌でオリンピックがあったことをそれらは教えてくれた。好奇心からのぞいてみた祖母のドレッサーからは白粉と香水の混ざった匂い。

* * * * *

叔父の結婚後も、隣市の中学校に通うようになってからも祖父母の家は形を変えない、親しい家であり続けた。

建て替えのきっかけは7年前の冬、祖父が亡くなったことだった。あまりにも急で、そこから先のことは中学生だった私にはよくわかっていない。ただ、祖父はもういないのだというどうしようもない事実と続いてくはずだった日々がぷっつりと途切れてしまった恐ろしさだけがあった。

以後として、時間がいつの間にか過ぎていく。そのめまぐるしさの中で、一人で暮らすことになった祖母と叔父一家とが同居することになったこと、祖母と小さい従弟とのどちらにも暮らしやすい家にした方がいいという話で進んでいったらしいこと、を聞いた。

* * * * *

そして6年前の初夏に話は戻る。建て替わった家に家族でお邪魔して食事をした。今もお盆やお正月にふたつの家族が集まって食事をする。

仏間はダイニングキッチンに、居間はダイニングに繋がった子供部屋兼リビングになった。母が使っていたピアノはダイニングに移った。従兄弟たちの誰かがピアノを習うのかもしれない。

新しい仏間はこぢんまりと、かつて応接間だったところにある。ソファをはじめとした応接間にあったものたちがどこに行ってしまったのか、私は知らない。新しい祖母の、叔父たちの家のどこにもないということの他は何も。2階がいまどうなっているのかも、どんな生活があるのかもやはり知らない。知らなくていいのだと思う。もう、そこは祖父母の家ではなくて、祖母の、いや、叔父叔母の、従兄弟たちの家だから。

初めて訪ねたときからおよそ18年が経った今年の1月、成人式の前にまた家族で集まった。下の従兄弟たちは祖父のことを知らないし、受験と上京で少し遠ざかった私のこともあまり覚えていないようだ。こうして、外からも内からも住み代わっていくのだろう。

* * * * *

母から祖父母の家がある土地は、昔は洋服屋だったのだと聞いたことがある。その当時のことや、母がそこで暮らしていたことは想像すらできない。けれど、建物の形を変え、住む人を変え、確かに営みは続いていくのだろう。それぞれのやり方で、どこか似たような営みが。ソファが、地下室がなくなっても物置や手洗場の場所が変わらないのと同じように、いままでも、これから先も、ずっと。


役者・小道具2年 青本

 


⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰

劇団綺畸2017年度夏公演

『鴉神話』

作・演出 齋野直陽

6/8(木) 19:00

9(金) 19:00

10(土) 14:00/19:00

11(日) 14:00/19:00

駒場小空間

全席自由席

入場無料・カンパ制

⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰