劇団綺畸稽古場ブログ

劇団綺畸は、東京大学と東京女子大学のインカレ演劇サークルです。名前の由来は「綺麗な畸形」。

美大通りの演劇

吉祥寺から東女に行く時、それはだいたい夕方が多いのだが、ほぼ決まって美大通りという通り、確か500メートルくらいの直線なのだが、そこを歩く。なぜかそこでは、ほぼ100パーセント一人で歩いているからかはたまた別の理由か、視線が上を向く。きまってそうであるわけではないが、というかどちらかというとそれはきまぐれに、美大通りに入った瞬間、正確には左手に見えるあんこ屋さんを通り過ぎたあたり、そう、ちょうど上への視界が開けてから、視線がすっとまるでそうなることが全くの自然であるかのように、歩きスマホから目を上げて、それは決してその時間帯に充電がなくなりやすく、やることがなくなるからではなく、眼前に、より正しくいうと視界の上の方に、広がる空に、それも西に沈んでいくであろう太陽の光が綺麗に写っている夕焼けがかった空を左手に見ながら、空を見る。

 

空を見る。空を見ると、ごく一般の例に全く漏れることなく、自分のちっぽけさを感じる。それは例えば、自分の上に広がる青々とした、時に様々な表情を見せる空を無粋にもけたたましい音を立てて横切ることが稀にある飛行機の窓から、下を覗いた時に、あるいは、東京タワーでもスカイツリーでも通天閣でも東横インからでも見下ろした時に見える、歩いている、仕事をしている、楽しそうにしている、生きている、そんな人々を、歩いて空を眺める自分がそういう視点を想像して、思うちっぽけさなのだとしたら、それは歩いている自分にとっても、手を透かしてみれば飛行機なんて指の間に収まるし、それに乗っている何十人のうちの一人なんてミリ以下の単位でしか表すことのできない小ささなのだからむしろおまえらの方が歩いてる自分にとってはちっぽけだと、言ってやりたい気持ちにもなってよかろうものなのに、ということを思ったことがあったことを思い出す。

 

思い出す。色々な空があることを、その空は途方もない感覚でつながっていることを。過去があり未来があったことを。そのくらい思うと高架線が視界を横切る。そこに登ってみたいという幼心や、その梯子を登る時の、手の、足の、震えや、恐怖心と高揚感を、歩いている自分が想像する。渡り鳥らしき鳥たちがそこに留まっていたのを思い出す。そしてその鳥が西へ飛んでいく神々しさを思い出す。感覚の世界にダイブするのを横切っていく自転車や車が止める。それに不満であるときは、そうでないときもあるのだが、口笛を吹いたりイヤホンから流れる音楽を口ずさむ。音と体がつながると自然にリズムに乗ってなんだか歩調が軽くなって、きっと後ろからそれをみている人がいたらもしかすると通報する人もいるかもしれないが、そうでなくても怪訝にあるいは不審に思うのだろうが、それをまた想像して調子の悪いときはすぐにやめてしまうのだが、調子のいいときはそのまま歌い出したりしたりしなかったりするのである。ここまでくると右手に見える郵便局はとうの昔、中学校を左手に見るくらいだ。中学生を美大通りで見た記憶はあまりないのだが。時たま時報の音が聞こえる。5時を知らせる時報の音である。それが空に霧散していく情景が夕焼けも終わり夜へと誘われている空に重なることもあった。

 

また別の切り口となる。空を見て、飛行機や高架線や音を思わないとき、何を思っていたのか、はたまた何も思っていなかったのか、何も思っていなかったということはないだろうが、何かを思っていたことは覚えている。そういう時はきまって廃墟まがいの家から漂うほこりっぽい匂いや、今にも雨が降り出しそうな時の湿った匂い、どこからともなく香ってくるぶり大根、もしかしたら肉じゃがかもしれないが、その匂いを感じて、また美大通りから意識を遠くに飛ばすのである。もしかしたらその先に空があるのかもしれないが、しかし決して空から俯瞰した自分を想像したことはなく、どこか別の世界へと夕方という狭間の時間が連れて行ってくれていた魔法だったのかもしれない。

 

魔法だったのかもしれない。もうすぐ美大通りも終わりを迎える。美大の校舎を右手に過ぎ、高価そうなマンションと緑地が見えてくるとこの魔法のような、あるいは本当に魔法の、時間は終わってしまい、雑多な車の通りと、美大通りにも車の通行はあるのだが、視界の位置がひくくなってしまうことに終わってしまう。なんとかこの空の美しさを目に焼き付けたい、と思ったことは全くもって一度もないが、ふとスマホの充電があれば、大体の場合はあるのだが、時間を確認して歩調が急かされたりもする。魔法が現実に打ち破られる瞬間である。その一瞬の感覚もまた、あまりに自然すぎるもので、覚えておくというより、ただその結果が歩いてきた道に落っことされているに過ぎないのだが、それを立ち止まって、振り返って、ちょっと戻って、ポケットから落っことしてしまったハンカチを拾うように、すくい上げてみると、なんとなくの実感をその手にした、本当は手にすることなんて出来ないのだが、その重さに、時間、空間、走馬灯、加速、あらゆる体感を置き去りにできる、そんな空がその重さを感じさせてくれていると直感させられることになるだろう。しかし、それもまた、たらればの話であって、よいこであってもなくても真似してはいけないし、誰かやったことがある人がいるのかどうかも定かではないが、信号をちゃんと守って美大通りを後にすると、そこに、ちゃんと空も、通ってきた道も、あるのに──

 

 

 

 

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劇団綺畸2019年度夏公演

『スポットライト・ガール』

作・演出 黒橋拓

 

6/6(木) 19:00

6/7(金) 19:00

6/8(土) 14:00/19:00

6/9(日) 14:00/19:00

駒場小空間

予約制・無料(カンパ制)

全席自由席

 

予約フォーム↓

https://www.quartet-online.net/ticket/spotlightgirl

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