劇団綺畸稽古場ブログ

劇団綺畸は、東京大学と東京女子大学のインカレ演劇サークルです。名前の由来は「綺麗な畸形」。

The bloom of youth

銭湯で熱いお湯に入って、感覚が痺れるぐらいに茹ってからぬるめのハーブ湯に移ると指先から自分が溶け出していく感じがする。

 

高校の英語の辞書、ジーニアスだっけ?のコラムに、英語では感情が水で表されることが多いと書いてあった。I am boiling now.みたいな。

 

水で感情が表されるのは日本もそうだけど、私は直感的に火で感情を表したくなる。そういう考え方で言うと、私は燃えないゴミかもしれない。

 

演技をしている綺畸の役者たちを見ていて、どうしてあんな熱が内にあるのかと恐ろしくなる。エゴイスティックに爆発して、全部巻き添いに破滅していく人間たちが目の前に現れてこちらをぶっ飛ばそうとしてくる圧力は演劇の力だなあと思う。映画ではなく演劇を選んでよかったなあ。

 

私も、メチャクチャになりたい。何かを溺れるほどに好きなってみたい。誰かを殺してしまうぐらいに憎んでみたい。駒場東大前駅の黄色いラインを飛び越えてみたい。

 

張り裂ける、押しつぶされる、つまる、みちる、膨らむ、背負う、払う、潜む、抑える、飢える、走る、傾く、散る、湧く、浸る、汲む、冷める、誘う、熟す、曇る、晴れる、揺れる、沈む、踊る、震える、淡い。

 

メタファーの森の中で

燃える、爆発する

無題

私は他の人からどんな風に見えているのだろうか

 

人に嫌われたくないし、自分のことが嫌いだから、人に見せる自分と本心がちぐはぐでいつも矛盾している。

 

メッキでありハリボテな鎧はどれくらい自分を隠せているのか時々不安に思う

 

でも、本当の自分なんてご都合的な妄想で存在しないのかもしれないです。

弱さを傲慢さを隠して隠して本心はそのうち泡になるのかもしれない

口に出したこと、外に出したことに行動は引っ張られると聞いたし

 

いつか、というかもう、私はメッキだけのハリボテの空っぽになっているのかも

 

空虚なのに他人に迷惑だけかけるそんな存在

そんなものはいらない

捨てた方が世のためなのだけど

 

…褒められたい、私を必要だと言って欲しい

自己肯定感が低いくせにプライドと自己愛が強いから、情けなく生にしがみついている。

 

臆病だから卑怯だから、弱さや傲慢さを必死にメッキの中に押さえ込んで笑って謙遜してる

そんで誰かが偶然、不本意に見つけ出してくれることを願っている。

 

私も自分を好きだと言いたい。そのために懸命にならないといけないって考えさせられます。

性格が悪いって話

最初「火咲く」の文字列を見た時に浮かんだのは花火でした。だから内容を知るまでは力強くパッと咲いて、儚く終わるような話なのかなぁと勝手に思っていました。

実際は全然そんなことはなかったです。人間味があってドロっとした話でした。ちょっと悲しかったです。自分はあまり下ネタとかが得意ではないので。

 

さて、自分が考えるに、ですがこの作品の肝は何も解決しないことだと思います。ハッピーエンドじゃないし、何かが劇的に変わるわけでもありません。

でもそういうことは日常ではしばしばある事だなって思います。自分にとって大きな変化が周りからは変わってないように見えたり、逆も然りです。

自分は普段あまり誰か意識した生き方をしてないので、傍若無人な振る舞いや意図せず人を傷つけることがあります。これ、厄介なのが自分が相手を傷つけたことに気づいても、大した罪悪感を持ち合わせていないことです。どうでもよ、めんどくさってなります。逆の立場だったら普通に傷つくくせにです。

今回はこのお話に出会えたことは変化や人の機微に少し向き合う機会が与えられたと思ってます。この公演の期間だけでも少しだけ人との関わり方を見直すべきかなと思いました。たぶん無理なんですけども。

 

これは別口の話ですが新公はもう少し綺麗な話がいいです。自分には脚本を書くような才はありませんので、図々しいですが、どうか作演をやるかもしれない皆さま、お願いします。

それはそうとして冬公は冬公でちゃんと精一杯を尽くしたいと思ってます。よろしくお願いします。

『火咲く』を咲かせる

他の人(恐らく後輩)が書いたブログを見て全てを消しました。ブログ提出が遅いのは通常運転。ごめんなさい。 やっぱり私は文を書くのが下手みたいです。バスが来なくて萎えてます。遅刻確定。

 

 

 

 

汚くて、でもどこか綺麗なもの。

初めて『火咲く』を読んだ時、色んな感情がわいたけれど、自分のその感情含めて綺麗だなぁと思った。人間を感じた。人間って汚いけど傍から見てる分には綺麗に見えたりする。

 

自分を見つめて、見つけて、自分らしく生きるって、自分を好きでいることって、思っているより何倍もきっと難しい。だから代わりに誰かに好きでいて欲しいとか思っちゃうんでしょうね。

 

 

 

 

自分が現役の時にこの芝居が上演されることを心から嬉しく思います。そしてちゃんと自分もこの芝居の一部でありたい。

 

 

ちょっくらまた頑張っちゃおうかなと思います。人間いつがさいごになるか分かりませんので。ぶちかまします。いつもより。

 

たくさんの方に見ていただけますように。

『火咲く』どうぞよろしくお願い致します。

 

遅刻した

花火

タイトル、火咲くについてらしいので…

 

文字にすると安直ですが花火が思いつきます。

花火は好きです。

一瞬だけのきらめきで記憶に残る、その美しさと儚さが好きです。

 

この儚さは演劇も同じだなと

1回の公演のために多くの時間とエネルギーを費やす

 

儚いからこそ記憶に残るのか

記憶に残るものであるためには自身を燃やしてしまうほどのエネルギーが必要なのか

 

願わくば誰かの記憶に刻まれるものを

消防車を呼ぼうか。

感想のような、自分語りのような、そんなものを書きましたが、癖が出ました。気持ち悪くなったら即行でブラウザバックしてください責任は負いませんよ。言いましたからね。

 

まず最初、「ひさく」ではなくて「かざく」だと思ってました。かざくだとしても、うちの作演は公演名を考えるセンスあるなと思ってたんです。でも違いましたね。ひさくでした。もっと最高だと思います。誰もが思ったであろう、「秘作」。自分で自分の創作物に対するハードルを上げるのって怖いことだと思います。私なら最大限の保険をかけて世に放ちます。でも演劇人にとって前に進むってすごく重要なことだと思うので、私も自分の中の「ひさく」に対するハードルを上げながら楽しみにしています。

 

火が咲いている様と聞いて、皆様は何を思い浮かべるでしょうか。私は火事ですね。不謹慎かもしれないですが、私的には花火なんかよりもずっと美しいと感じます。原因のほとんどはちっぽけなもので。なのに次から次へと燃え移り、大きなものになっていく。消されそうになっても粘る。しかし、美しさの影にはたくさんの不幸がある。何とも言えない美しさを感じませんか?近くで見ると醜いかもしれない。けれど、遠くから見る分と最高の芸術作品。そして、その灯りに引き込まれそうになる。高いところから下を覗くと落ちたくなってしまうのと同じように。光に向かってしまう虫のように。いつか私は炎に飲み込まれて死んでしまうのかもしれない。私が花托で、炎が花弁。遠くから映像に残すのはどうでしょう。いつか満足するまで生き抜いたら、感性の合う人間と一緒にやってみるのもいいかもしれない。そう思ってしまうほどに燃え盛る炎は魅力的なものに思えます。

 

別に自殺願望があるわけじゃないんですよ。どうせ死ぬならもっと楽に死にたいです。一番誰にも迷惑かけなく、綺麗に死ねるのは凍死らしいですね。寒いだけだよって母が言ってました。でも死ぬ瞬間すら誰の記憶にも残らないって結構残酷。どうせならいろんな人の記憶に残りながら死にたい。ただ、死ぬ瞬間を近くでお見せしてしまうと相手が可哀想なのでやっぱり花になるのがいいのかもしれない。何も気にしなくていいならば、スクランブル交差点のど真ん中で。現実的には、営業終了後の渋谷スカイで。

 

輪廻転生って信じます?私はそこそこに信じてます。信じてるっていうか、生まれ変われればいいなっていうファンタジーな気持ちでいます。何がいいかなぁ。人間って最強なのでこの世界線で生まれ変わるなら人間一択。でも私、この世界線嫌いなんですよね。もっとファンタジー世界線に行きたいです。めっちゃ強い蝶々になりたいです。蛾の柄をした蝶々がいいです。蛾ってすごくいい。綺麗な柄しといて、触れたら終わり。魅惑。でも人に嫌われるとメンブレしちゃうので、蝶々でいたい。羽とか千切れたら嫌だから、固い素材でよろしくお願いします。寿命は1年。死んだあとは標本にしてください。私はまた、輪廻で転生しますので。