劇団綺畸稽古場ブログ

劇団綺畸は、東京大学と東京女子大学のインカレ演劇サークルです。名前の由来は「綺麗な畸形」。

自由帳戦争

自由帳の真っ白なページを開く。左側のページが僕の陣地で、右側のページがまさし君の陣地である。自分の陣地を、無数の小さな丸でただひたすら埋め尽くしていく。ボールペンで書かれた半径1ミリほどのこの丸を、僕たちは歩兵と呼んでいた。真っ白な1ページを余すところなく丸で埋めていく作業は途方もなく時間がかかるものであり、今となっては、その無味乾燥な単純作業の果てしなさや目と腕の疲れを想像して閉口してしまう。

しかし、ぼくとまさし君は、これを開戦準備と呼んで、暇さえあれば自由帳を開いてせわしなく手を動かした。席が左と右で隣同士の僕とまさし君は、休み時間になると、来る決戦の日に向けて、ただ丸を書いていた。途中で面倒くさくなったまさし君は、筆記体で小文字のLを続けて書くように、一筆書きで歩兵を大量生産していたが、僕はそれを嫌った。あくまで、ちいさな丸を一つずつ書くことにこだわった。それは、単にそうした方が面積に対してより多く歩兵を書くことができると考えたからだったと思うが、米粒のようにいびつな形をした丸や、たまたま上手く書けた綺麗な円形の丸のそれぞれを、それぞれとして扱いたかったという気持ちもあったように思う。だから決まってこの開戦準備は、左の席に座る僕側の陣営の方が時間がかかった。でも僕にとってそれは、決して無味乾燥な作業のための時間ではなくて、開戦への期待とわが軍への愛着を膨らませるための時間だった。

宣戦布告と意味も分からず叫んで開戦した後は、今度は自由帳の左右を反転させて、相手の陣地のページをボールペンで塗りつぶす。制限時間はだいたい30秒くらいだったと思うが、その間にただひたすら、何かを殴り書きするかのように一心不乱にボールペンを動かして、まさし君がおしまいと言う頃には、自由帳はもう真っ黒に塗りつぶされるどころか、左右のページがボールペンの先で破かれていて、隣の数ページまでボロボロになっている。開戦準備までの、呑気にただ丸を並べていた風景は、ボールペンの暴力的な動きによって一変し、その後に映る風景の凄惨さたるや、なるほどこれは戦争だといった感すらある。それから再び左右を反転して、相手のボールペンの線が通過しなかった、生き残った歩兵の数を数える。お気に入りの丸が戦火を逃れていたのを見つけたときは喜んだりもしたが、その愛着の一つ一つも、結局は数に還元されて、勝敗が決まる。飽きずに何度もやった。

自由帳戦争の全盛期はまさし君が3年2組に転校してきて半年ほどたったころだったと思うが、それからしばらくしてこの遊びはもうしなくなって、それでも僕とまさし君はいつも一緒に遊んでいた。昼休みのドッジボールには毎日参加した。僕もまさし君も運動は好きだったが、得意では全くなかったので、正しい方向で活躍することは半ばあきらめて、ただボールをよけたり、変な投げ方を開発したりしていた。この態度はドッジボールに限らなかった。やんちゃな子、しかもだいたいドッジボールが得意なタイプの子が、僕たちに乱暴な方法で意地悪をしようとしたとき、僕たちはそれに屁理屈や挑発で対抗した。非力な僕らには、勝ち目のない暴力より、実に小学生らしい屁理屈だろうと、言論に訴える方に義があるように思えたし、挑発に乗って手を出した向こうを先生はいつも粛清して誰も僕らを否定しなかったのでそれでよいと思っていた。

僕たちにとって暴力は絶対悪だった。僕たちの暴力との距離の取り方が正しく、それが大人だとさえ思っていた。しかし、この子供がどういう大人になったかと言えば、暴力というものが分からない大人である。口先だけで少年期を生きてきた僕は、その間に着々と成長していく身体に着実に備わっていく潜在的な暴力性に気づくことがなかった。そのせいで、僕は身体の動きについて考えるとき、常に観念的で、暴力との実際の距離感がわからない。なぐりで殴れば人は死ぬと言われれば思わず笑ってしまうし、屠場では豚肉が生産されていると言われれば納得してしまう。だから、人を殴ることより、人を殴ることの生々しさを経験から知らないことの方が恐ろしいということにも、屠場では豚が殺されていることにも気が付かない。例えば、時は飛んで中2の体育。跳び箱の踏切版を背中に担いで片づけていたまさし君の背中に飛び乗ったら、どれだけ高く飛べるだろうと思った僕は実際試みて、二人とも倒れた。飛び乗るどころか、結果的にはただ飛び蹴りをしただけだった。まさし君は当然重症。

暴力との距離感が掴めない僕は、今も自由帳の暴力をたびたび表出させてしまう。もう自由帳も持っていないのに。しかしこの暴力はいたるところで見るように思う。そしてそれは、丸の一つ一つを愛することのできる人が暴力の対象をとるときは、それを無味乾燥な丸の塊としてしまう場合だったりする。 

夏休みになったらまさし君に会いに行ってみようと思う。別の高校に行った後相当ぐれたと噂のまさし君に。

終演しました。引退します。

 

作演出 齋野直陽