「私には薬指がある。」
それが私の忘れられない思い出だ。
知らなかったというわけではなく、気づいていなかったというわけでもない。
ただ、小学校の4年生の時に「私には薬指がある。」と思ったという記憶が残っている。
僕には指遊びをする癖があった。
指を曲げてみたり、指同士を交差させたりした。パンダだ。カエルだ。なんだ。似せたり似せなかったり。ずっと続けていた。続けるというのは違うか。やめれなかったんだと思う。
そうした惰性は、指遊びを僕の中に招き入れた。何をしている時も小指を薬指と交差させていた。気がつくと薬指は親指と人差し指に挟まれていた。
指遊びは僕の一部になっていた。
指遊びが僕に入ってくる一方で、指遊びに対する声が僕の中で生まれた。 「なんでそんなことしてるの?」「他の子はそんなことしてないよ?」「でも、やめられないから。」
言葉が入り混じる。
一年ほど経つと、もう指遊びはしなくなっていた。
成長というやつかもしれない。いや、ただ飽きただけのような気がする。けれど指遊びの「あと」は僕の中に留まった。薬指が曲がっていたのだ。
薬指が曲がっていることには普通に気づいていた。最初に気がついたのは指遊びをやめた少し後だったと思う。薬指の第1関節は中指の方に少し曲がっていた。右のほうが強く曲がっていた。利き手だからだろうか。子供の骨は柔らかいようだ。
小学校4年生の時、ふと曲がった薬指を見た。「薬指が曲がっている」と思った。中指を見た。「中指は曲がっていない」と思った。当たり前のことだ。中指を曲げるようなことはしていない。この指になって2、3年になろうとしていて、最早いつもの見慣れた指になっていた。けれど、この時はなぜか薬指に目が吸い寄せられた。なぜだか薬指を真っ直ぐに戻したいと思った。
暇な時には薬指をつまんで力を入れた。当然だが全然戻らなかった。何度もやったが戻らなかった。後悔した。死ぬほど後悔した。「もう指は真っ直ぐには戻らない」「いや、矯正器具をはめれば戻るかもしれない。」「矯正できるか?手術かもしれない。」言葉が入り混じる。
数日が過ぎた。
どうしようもできなかった。
どうしようともしなかった。
正直、もういいと思った。
悲しかった。
すると声が聞こえた。
あのお婆さんを見ろ、腰が曲がってる。
あのおじさんを見ろ、指の関節が変に太い。
あのお兄さんを見ろ、耳が餃子みたいだ。
そう思うことにした。
そう思うようにした。
声は明瞭に聞こえた。
私の薬指を見ろ、少し曲がっている。
別にいいんじゃないかと思った。
別にいいんじゃないかと思うようにした。
諦めだろうか。
諦めなんだろうなと思った。
でも、「私には薬指がある。」と思った。
「この薬指は私なんだ。」と思った。
舞台 西村
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劇団綺畸2018年度冬公演
『ふれろ』
作・演出 中村光汰
12/20(木) 19:00
21(金) 19:00
22(土) 14:00/19:00
23(日) 14:00/19:00
於 駒場小空間
予約制・無料(カンパ制)
全席自由席
予約フォーム(西村扱い)↓
https://www.quartet-online.net/ticket/kiki18fuyu?m=0kdidgc
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