劇団綺畸稽古場ブログ

劇団綺畸は、東京大学と東京女子大学のインカレ演劇サークルです。名前の由来は「綺麗な畸形」。

それから

今の自分の感情がよく分からない。
何も感じられない。
これまでの公演であれば、それを振り返っていろいろなことを思い出し、懐かしさに浸ることもできたが、今の僕は何も感じていない。
11月頭から一昨日、大道具の片付けが終わるまで、すべてをこの作品に捧げてきた。『ふれろ』という題名とラストシーンの構成以外のすべてがあやふやだったこの劇に骨と肉を与えることに躍起になっていた。今となっては遠い昔のことのように思える。この永遠とも一瞬とも思えるような二か月弱、この作品は僕の人生そのものだった。
それが急に僕からとりあげられてしまった。僕は今、必死になって遊んでいたおもちゃをとりあげられた子供と同じ顔をしている。返してほしい。多大なる苦痛とほんの少しの喜びに満ちたあの日々を。
そんなこと誰にせがめばいいんだろう。


公演は間違いなく成功に終わった。
今まで見たことのない物量の舞台をほぼすべて、たった四人で立ち上げた舞台セクション。
遅い脚本に苦しめられながら艶やかな光でそれを彩った照明セクション。
脚本の変更に伴いせっかく探した音源を切り捨てながらも理想の音を追求した音響セクション。
役者があの熱烈な舞台の存在感に押し負けずに立つことを可能にした衣裳セクション。
道行く人に僕らの情熱を伝えるチャンネルとなってくれた宣伝美術セクション。
より多くのお客さんに、快適に観てもらうために野心的に挑戦をした制作セクション。
遅いくせに多い作演からの要求に完璧に応えてくれた小道具セクション。
新しい試みに、計画的に、地道に挑戦したwebセクション。
ダイナミックに劇世界と広報を下支えしてくれた映像セクション。
劇団綺畸という枠組みの外にいながら惜しみない協力を与えてくれた方々。
このだらしのない作演をいつも支えてくれた役者たち。
安全に確実に公演を成功させるために、骨を粉にし、身を砕いて尽力してくれた舞台監督。

そのすべてに支えられて、この公演を終わらせることができた。

でも。
それももうすべてなくなった。
あの舞台は廃材と化し、音照はその体系を解かれ、衣裳はそれぞれの役者のタンスの中に、そのほかのいろんな物々も倉庫の片隅で眠りについた。
あの情熱の向こう側、ゴールを通り過ぎてしまった僕に残されていたのは、全き無だった。
演劇という芸術のこの残酷さを、僕はいまだに受け入れられていない。
何も感じないのはそのせいだろう。あの日々はまだ続いている。心がそう思わせている。本当はすべて消えてなくなってしまったというのに。


優しさと強さを、生と死を、愛と情熱を謳った劇だった。
それらは一瞬のうちに舞台の上に立ち現われ、消えてしまった。
あの煌めきに思いを馳せて、生き続けねばならないのだろうか。
二度と見ることはできないあの生命の迸りを夢想し続けるのだろうか。
僕以外のみんなの記憶から、この劇が薄れてゆくことに立ち向かう強さを、果たして僕は持つことができるのだろうか。


僕は演劇が憎い。
次の煌めきに思いを馳せるしかない。
今の僕にはそれしかできない。

ああ、そうだ。
全き無なんかじゃない。
幸いにも、僕にはまだ仲間がいる。
もう一度だけ、彼らと走ることができる。

そのために、今はただ、薄まりゆく記憶と戯れながら、目を閉じることにしたい。


劇団綺畸2018年度冬公演『ふれろ』
作・演出 中村光