劇団綺畸稽古場ブログ

劇団綺畸は、東京大学と東京女子大学のインカレ演劇サークルです。名前の由来は「綺麗な畸形」。

ある短さについてについて

この劇団綺畸稽古場ブログにて先日公開された「ある短さについて」、みなさんお読みいただけただろうか。

 

今回私は我らが主宰中村光汰こと、ゼラが描いたあの記事を精緻に考察していこうと思う。

今全ての考察を終えてこの前文を書いているが、読書の皆さんが思っている以上にあの記事は深遠な「メッセージ」を、「メッッセージ」を内包している。その「メッッッセージ」に個人で気づくことはなかなか難しい。

できるとすれば一年間隣で舞台監督を務めていた私以外にいないだろう。そう思い、断固たる決意を胸に筆をとった次第である。

読者諸君、どうか覚悟してほしい。この記事が解き明かす真相に屈しないでほしい。

 

 

http://gekidan-kiki.hatenablog.jp/entry/20190511

ここから「ある短さについて」の原文が読める。時間のある人は改めて読んでから私の考察に移って頂けると、より簡単に理解が進むだろう。

 

 

それでは一文目からいこう。

 

『できるだけ物事に心を動かされることのないように生きていたい。』

──なんともゼラらしい書き出しである。彼はこの言葉を比較的体現できているように見えるからすごい。

この暗い印象をしっかりと心に留めて先へ進むとする。

 

『傷つきたくない。

他者を変えることはできないので、傷つきたくなければ自分を変えるしかない。』

──いやあ悲しい。この思考の展開は彼が作演出を務めた弊劇団の冬公演「ふれろ」にもうっすらと内在するテーマであったように思う。

 

『・何物にも傷つかない鋼の心を持つ?

・衝撃を受け流すしなやかな心を持つ?

・衝撃を受けぬよう外界から距離を取る?

・衝撃を過小評価する?

・傷ついても傷ついていないふりをする?

・「まあそんなもんだろうな」という精神?

・敵意を自分の責任として対処する?』

──上で示された「自分を変える」ことの具体例を列挙している段。「何物にも傷つかない」でいいところを「何物にも傷つかない心を持つ」としているところが彼らしい。自身と心とを区別しているようにも、自身を心に仮託しているようにも受け取れる。ゼラはふとした時に綺麗な言葉を使う粋な男だ。

 

 

さてここからである。ここからがすごいのだ。

ここまでで力を溜めてきたゼラの繰り出す驚きの展開に覚悟してほしい。

 

・・・・・・

・・・・・

・・・・

・・・

・・

 』

 

──直角三角形である。

 

突然点々で直角三角形つくっている。誰が想像できただろう。悩みを長々と書いてきて突然の直角三角形だ…。ここまで真面目に読んできた我々読者の地盤をゼラはこの直角三角形で一閃に打ち崩す。

ここで読者は気づかなければならない。この文章「ある短さについて」は到底真面目に読むようなものではない。真面目に読んで感傷的な気持ちになるなんて絶対にいけない。

これはゼラによる、一世一代のおふざけなのだ。

 

この直角三角形は宣戦布告である。ここからお前たちの目にもの見せてやるぞ、俺めちゃかますぞというゼラの誇り高き宣言だ。

その宣言とともに振りかざす三角の旗、直角三角形がそれを見た目に暗喩していることは明白である。

 

面白い。受けて立とうじゃないかゼラ!

ここからの文章をわたしは本気で解読し、解釈していく。読者もどうか奴にひるむことなく、強い意志を持ってついてきて欲しい。

ふざけたやつである、やつのおふざけを俺が、白日のもとに晒す・・・!

 

『否応なく人と関わってきた二年間だった。

無知と浅慮を呪い続けた二年間だった。

傷つかぬようにしていたら気づかぬままになったことがいくつもある。そして後になって後悔する。それを何度も繰り返す。

 

信頼できる同期に恵まれた。頼りたいときに頼れる人間がいる幸せを何度も感じた。

そんな彼らに対して、僕は十分に真摯だっただろうか。誠実だっただろうか。

 

ひと月も経てば、もう解散。

あとは知らねどさようなら。』

 

──おわかりだろうか。

宣戦布告の直角三角形に続いてこの箇所にもゼラはすごい仕掛けを隠している。

 

なんと上の文章、

ドラえもんのOP曲『夢をかなえてドラえもん』の替え歌になっている。

疑っている人もまずはこの動画を見ていただきたい。


夢をかなえてドラえもん 歌ってみた

 

ご覧いただけたろうか。

『夢をかなえてドラえもん』の1番と完全に一致している。完全に。

 

全く恐ろしい。

一見ただのエモブログ、されどその実相はドラえもんのテーマソングだ。

これは偶然ではない。例えば「後悔する」の入り方や「ひと月も」「あとは知らねど」のリズムとの調和、そして完璧な尺。明らかに計算されている。

 

流石だゼラ。

しかしまだ感服はしないぞ。ドラえもんの替え歌で文章を作ったからなんだというのだ。作者の思想や自己満足など劇団綺畸稽古場ブログには無意味、自分をさらけ出せばさらけ出すほど、考えれば考えるほど恥ずかしいのが劇団綺畸稽古場ブログだ。

どーせこういう一発芸に終始するに決まっている…!恐れることはない。

 

『みんなどんな風に生きていくかはわからないけど、大学も卒業したらもう会わないのかもしれないけど、幾分か狭まったこの距離だけは、残っていてほしい。』

 

──なんてことだろう。

前言を撤回させてもらう…あいつは一発芸で終わるような男じゃなかった…

震えが止まらない…我々読者の思考は全てあいつの掌の上だったんだ。

 

 

着目すべきは以下の箇所である。

「大学も卒業したらもう会わないのかもしれないけど」

何か気づかないだろうか…

そう、「も」という助詞がおかしいのだ。

も、は並立を表す助詞である。つまり「大学も」、と言うからには他にも何か卒業するものがあるべきだが、ここにそのようなものはない。

これはおかしい。替え歌で文を書くような男だ。助詞なんて間違えるわけがない。

 

つまりここには何かわけがある。ゼラが「も」を欲していたわけがある。

ここまで説明すればもうお分かりだろう。

 

そう、アナグラムである。

私はこの文章を並び替え、真のメッセージを見い出すことに成功した。それが以下のものである。

 

けいこ、かも、たく、ともか、いがらし、わかな

ななにん、生きていけい。

しないけいこ、大学卒業、ててい。

みどん風はど、しらもう会わなのれ、く分狭まったの距離だは、のっほい。

 

まったくすごい男だ…

うっかり感傷に浸ってしまう、すごい、すごい同期を持った…

まず同期として入団した役者全員の名前を列挙し(ばやしのことはなぜかわかなと呼んでいる)、彼らの今後にエールを送っているのがこの段の真意である。

 

これが、真のエモである。

 

かっこいいぞゼラ。なあ、お前かっこいいよゼラ。

真面目なブログと見せかけておふざけや奇抜な仕組みを仕掛け、舐めて読んでしまった我々に最後の最後で本物の感動を突きつけてくる。

ここまでのおふざけは一発芸などではない。全て構造の中のワンパーツ。このカタルシスをもたらすためのピースだったのだ…

 

これらを見抜かずに原文のまま、あのしょうもないエモブログをいいねした読者よ、恥を知れ!ゼラがあんなしょうもないエモブログを書くわけがないだろう!ゼラを見くびるな!ばーか!!見くびるなゼラを!!

 

『その狭まりの中にしか、この二年間はない。』

泣いた!!!!最高の主宰だ!

 

 

『劇団綺畸主宰

役者・映像3年

中村光汰 』

 

(劇団綺畸のブログってみんなわかってるのに署名にわざわざ劇団綺畸って書くの、かっこいいぜ…!)

 

劇団綺畸

近江諒哉

 

 

 

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劇団綺畸2019年度夏公演

『スポットライト・ガール』

作・演出 黒橋拓

 

6/6(木) 19:00

6/7(金) 19:00

6/8(土) 14:00/19:00

6/9(日) 14:00/19:00

駒場小空間

予約制・無料(カンパ制)

全席自由席

 

予約フォーム(近江扱い)↓

https://www.quartet-online.net/ticket/spotlightgirl?m=0kdidff

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