劇団綺畸稽古場ブログ

劇団綺畸は、東京大学と東京女子大学のインカレ演劇サークルです。名前の由来は「綺麗な畸形」。

私と演劇

どうも初めまして劇団綺畸で舞台をやっている西村です。3年生です。今回、仮入団期間も終わりに近づいてきたこともあり、「私と演劇」に関して何か書くように言われこうしたものを書くことになりました。読むのが面倒になってしまうと思うので最後の段落まで飛んでもらって大丈夫です。なにを書こうかと考えて、今回の自粛と関連づけるくらいしか思いつかなかったのでそんな感じで書いてきます。


自粛といっても雰囲気としての自粛ムードみたいなのに初めて触れたのは2月末あたりでした。その時は後輩の新人公演ができるかどうかみたいな感じで、その時にあぁ結構ヤバいんだなと思いました。所詮はコロナなんてインフルみたいな感じでそのうち収まるだろうとか、さして問題ないと考えてたんですよね当時は。「いつも」が変わるなんて考えませんでした。ただ、そういったことは全然なくて、そういったことってのは「いつも」はやっぱりいつもだからいつもあるってことなんですけど、後輩の新人公演はできませんでした。


自粛期間が長引いてきて時々、「あの時は・・・」というものが今回の件と見た目関係ないところからもポツポツ出てきて、それをほじっていたら「いや、でも・・」、「いや、でも・・・」ってものも次から次へ押し寄せてきました。起きなかった出来事の話なんてバカバカしいと思っていましたが、日々が短くなって生活に取り込まれていく中、何十回目かの噴出を見てこれは起きなかった過去からやってきたものじゃなくて起きようとしている未来なんだと思いました。そしてこの未(決)定は、まさしく出来事として起きて自分が見尽くした過去からやってきていました。


多分、僕は「いや、でも演劇がしたい」だなんて活発なものは持ってなくて「いや、でも今経験しているいつもは違う」ってものがあるんだと思います。それほどにこれまでの「非日常」な時間が僕の中で「いつも」になっているのでしょう。この一瞬の日々をより良い「いつも」にできる場所がこの場所なのだろうと今思います。


だからなんですかって話なんですけど、結局これは新歓の文なので最後は「ぜひ劇団綺畸に!」みたいになってしまうんですが、そんなことよりも大事なのはこの騒ぎで大事にすべきものというか自分が大事にしていたものが僕はわかったよーってことです。主語は大きく僕はと書きますが、僕は過去を振り返って一昨年春の選択はあながち間違いじゃなかった気がしてます。顔も見たことない、演劇経験もあるか知らない人に「君は演劇向いてる!」だなんて恥ずかしくて言えませんが、「今夜ヴァンパイアになるか?」って言われて少しなりたいと思う人は案外向いてるかもしれないです。