「私と演劇」について書こうと思ったとき、特に何も浮かばなかった。
ぼんやりとしたことしか考えられず、とりあえず書こうとしてみるが、書けない。
書きたいことが無い。
そもそも、考えていることが特に無い。
自分の演劇に対する無関心に驚いた。
演劇好きとか言いつつ、実際は別に好きでもないのでは…?
じゃあなんで演劇をやろうと思ったのか?なんで綺畸に入ろうと思ったのか?
多分、理由なんかない。
強いて言えば、高3の時やった劇がなんとなく楽しかったから大学でもなんとなくやることにしただけ。
こんな感じで、演劇を選んだことに理由をつけようと思えばつけられるが、後付け感がすごい。多分誤り。
でも、綺畸を選んだ理由なら答えられる。単に、一番熱中できそうだったから。
正直なところ、熱中できるものであれば、演劇じゃなくてもよかった。
何かのスポーツでもよかったし、音楽でもよかった。
とにかく、何にも熱中せず、何となく学生生活を終えるのは嫌だと思っていた。
この感覚は昔からあって、小中高と部活大好き人間だった。練習がたくさんあると喜んでいた。楽しかった。
でも、同じ競技を続けることはしなかった。
小学校ではサッカー、中学校ではバスケ、高校ではバレー。
競技自体に対する愛情なんてこれっぽちもなかった。
結局、何が愛するものがあってそれに熱中するのではなく、熱中すること自体を愛している。
厳密に言えば熱中して愛が生じるのだろうが、私はそこまでいかなかった。
熱中ごっこの自己満足で終わっていた。
この原因はなんだろう。
とりあえずの答えは、常に退路を保持しようとする自分の性格だ。
引き返せなくなるのが嫌なのだ。もう無理だと思った時に、逃げられるようにしておきたい。
割とこの感じは人間関係にも出てしまっている気がする。
熱中したつもりになりながら、どこかで終わりを意識している。丁度いい区切りを探している。
こんな感じの性格になった原因は分かっていて、きっと避けられない運命だったと思う。
ただ、そんな生き方に不安を感じている。
このまま生きていっても、「私」はぼんやりした全体にしかなれないのでは…?
演劇に関してぼんやりしているように、ぼんやりを広げていくだけでは…?
なんとなく、そんな終わりは嫌だと思う。
また「なんとなく」だけども。
書いていて思う。これは自分の生きていない人生に対する過剰な期待では?と。
そんな気もする。
こればっかりは分からんですわ。
ただ、とにかく、それを確かめるためにも、そちらの人生も生きてみたい。
そういうことで、方針転換してみようと思う。
退路を保持しながらチョロチョロするのをやめ、何か一つに、本当の意味で、熱中してみようと思う。
その対象はとりあえず、演劇。
たまたま演劇をやっているので、そうする。
退路を断って、取り組んでみる。
少しずつ断ち切りは始めていて、このブログもその一つだったりする。
この方針転換が、私を生かすか殺すか、楽しみでもあり不安でもある。
まあ、どう転んでもそれはそれでいいでしょう。
そんな、情熱に欠ける、消極的な決意表明です。ありがとうございました。
役者 2年 田中賢志郎