劇団綺畸稽古場ブログ

劇団綺畸は、東京大学と東京女子大学のインカレ演劇サークルです。名前の由来は「綺麗な畸形」。

たからものなんて言葉では

引退公演です。

あんまり感傷に浸りすぎると怒られるのでほどほどにしたい。

 

 

 

この2年間ほど、人生をかけて一つのことに打ち込んだ時間はなかったと思います。そしてこれからもないのだろうと思います。

 だけど、そんな時間をまとめてしまうのに、「たからもの」なんて言葉ではあまりに綺麗すぎる。

  

綺畸の厳格なルールや稽古のシビアさに舌を巻きながらも、入団を決心した夜のことを忘れません。

夏公通しと被っていて、受験期から楽しみにしていた大好きなアイドルのライブに行けず涙を飲んだ日のことを忘れません(これだけはマジでクソ)。

演劇体験で誰にも負けたくなくて、毎週末観劇してた1年春学期の狂気的なストイックさを忘れません。

初めての禁禁期間、個人発声中、寝転びながら窓越しに見た真夏の空を忘れません。

下品な噂話に花を咲かせた美大通り、稽古後の爽やかな午後9時半を忘れません。

感染症の対応に苦慮しながら、公演の中止を虚しく決定した暖かい春先のことを忘れません。

壁の薄い四畳半からズームをつなげ、なるべく小さめに発声した窮屈なキャストリ練の日々を忘れません。

恐怖の中戦い抜いた新人叩き稽古を、小屋に響き渡る先輩の叱責を、コロナ禍久々に訪れた劇場の熱気を、遠い稽古場に通う度すり減っていく交通費を、同期との衝突に咽び泣いた日を、もとは5人いた役者が最後の公演にはたった1人になってしまったことを、演劇で生きていくことはできないんだと諦めた瞬間を、後輩たちの成長を目の当たりにして心震わせた稽古場を、忘れません。

ここで、大好きな人や一生関わっていきたい人と出会った。でもその時々で、大嫌いな人も、一生口を交わしたくないと思った人もいた。とにかくたくさんの人間と呼吸をともにしました。総じて本当に苦しい、長い長い2年間でした。厳しい稽古と制度、一筋縄ではいかない人間関係、正直3夏まで続けられたことが不思議なくらいです。コロナで壊れてしまった劇団の制度を構築し直すのに必死で、演技と真摯に向き合うことなんかできなかった。「お前みたいなやつがチーフじゃない方が良かった」ということを、直接的にも間接的にも、何度も突き付けられた。

劇団綺畸のことが、本当のところ、ぜんぜん好きになれませんでした。ぜんぜん好きになれなかったこの団体に、青春の大事な時間をどっぷり捧げてしまったことを、ぼくは絶対に忘れません。いろんなバイトとかしとけばよかったな。本ももっと読んどけばよかった。養成所に本気で入りたかった時もあった。自由に、なりたかった。

 

 

書けば書くほど、綺畸の時間は「たからもの」から遠ざかっていく。こんなもの、もしかしたら捨ててしまっていいかもしれない。むしろ捨ててしまうべきなのかもしれない。「たからもの」なんてものとはかけ離れた、あまりに泥臭すぎる時間です。背負い続けるには、とてつもなく、重い。重い日々です。そして、戻ってくるはずないさまざまな過去に縋り付いて、こうして反省しながらブログを書き進めていることは、すでに去ってしまった死者との時間を、今ここに希求するのと同じくらい、とてつもなく徒労なことだ、と、思う。苦痛な日々の思い出や、それに伴う幾らかの感傷を、今ここに記すことは、誰の人生にとっても、本当にどうでもよいことです。もちろんぼくの人生にとっても。

本当にどうでもよい。

だからこのブログに綴ってからは、なるべくこれらのことを思い出さないようにしたい。ぼくは、本当の「たからもの」が欲しい。劇団綺畸では得られなかったもの。キラキラ輝いていて、ずっと手にして愛撫していたくて、手放したくなくて、誰の目にも美しく映るような、羨ましくなるような、そんな時間が、経験が欲しい。これから自由になるもう半分の2年間で、ようやくそれができるようになるのです。

多くの先達が経験した引退とは、きっとそういうことだったのだ!

 

 

 

 

けれど、けれど、なんだかんだ、ずっと、ここにしか居場所がなかった。ぼくは、ここでしか呼吸ができなかった。

例えば、受験期ずっと憧れだった旅行研究会に入って、ワイワイ日本のあちこちを旅しているような大学生活は、全然イメージがつかない。キャストリ練以外のことをしている自分の日常を想像することができない。団体のことを一番に優先しなくてもよい日々の連続を想像できない。稽古場にいない自分の姿を想像できない。演劇以外のことに時間が割かれる生活がどうしても想像できない。

少なくとも、最後に、2019年の4月末日、居場所として劇団綺畸を選んでくれた、齢19歳の大学生橋本くんに対して、多少なりとも誇りを感じることくらいはできるのかもしれない。苦悶の日々を迂回しながらも継続して、ようやく最後の小屋入りを迎えられる今の自分を祝福することくらいはできるのかもしれない。自分を取り巻いてくれた幾らかの人間に対して、お礼を言うことくらいは、迷惑を全力で詫びることくらいはできるのかもしれない。できない。かもしれない。どっちでもよいかもしれない。

「たからもの」なんて、嘘でも言い切れないけれど、綺畸で過ごしたぐっちゃぐちゃの時間に、やっぱりぼくはしばらくの間、こうして否応なくしがみついてしまうのだろうと思います。情けない。そして、どうでもよい。そんなことはずっと、誰にとっても、本当に本当にどうでもよい。

 

 

でも、いや、だからこそ、今はやるしかないのだと思います。最後の最後まで、ここで、とりあえず、やるしかない。

一旦は、自分なりにたくさんのどうでもよいを引き受けて、前に向かうしかない。


こんな、泥臭くて重々しい景色の先には、何があるのだろう。一体どんな「たからもの」が眠っているのだろう。

そんなものが本当に、僕を待ってくれているんだろうか。

  

 

  

 

 


 

 

 

あんまり感傷に浸りすぎると怒られるのでほどほどにしたい。

いや違う。あんまり感傷に浸りすぎると、前に進めなくなるのでほどほどにしたい。

 

 

 いよいよ小屋入りです。

ご笑覧ください。

 

 

 

 

劇団綺畸 主宰/役者3年

橋本竜一郎

 

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劇団綺畸2021年度夏公演

 

『勿忘草』

作・演出 西山珠生

 

7月上旬配信予定

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