劇団綺畸稽古場ブログ

劇団綺畸は、東京大学と東京女子大学のインカレ演劇サークルです。名前の由来は「綺麗な畸形」。

ことば

「あなたにとってのたからものはなんですか?」みたいな質問が苦手だ。

高校時代に英作文の問題でよく「あなたの人生の中で一番嬉しかったことはなんですか」みたいな質問があって、毎回途方に暮れていた。自分の人生が嫌な訳ではなかったし、嬉しかったことだってそれそれなりにはあるけど、ここでその中の一つ、しかも一番のものを決めて書かないといけないのがたまらなく嫌だった。なんでそんなことを教えないといけないのか、という気持ちもないではなかったが、それよりも、自分のそれを文字にして表現することで失ってしまう何かがあるような気がして怖かった。こういう質問に答えを出して自分の経験に順位をつけるのも嫌だったし、嬉しかった経験を言葉にした瞬間から、その言葉を通してしか記憶を辿れなくなりそうで怖かった。

認知科学には言語隠蔽効果という言葉があって、一度非言語記憶を言語化すると、その記憶を前よりもうまく思い出せなくなるのだという。

 

だから言葉が怖い、と思う。言葉は世界を分節していて、分節するってことは区別することで、区別するってことは排除するってことにつながっている。「たからもの」という言葉もこわい。「たからもの」という言葉がそこにあるだけで、お前の中の大切なものを言葉にして切り取って俺に差し出せ、俺と対置させろと迫られているような気分になる。

 

この言葉の暴力性を別の力に転化できるのが詩だと思っている。「ぼくは昏い宝ものを隠している」という詩を読んでも怖くない。詩は言葉がそのまま言葉であることを許しているからだ。散文の中の言葉は、意味伝達のために使われ続けていて、しばしば現実世界の対応物を性急に求めてくる。「たからもの」という言葉は自分にとってのたからものを言葉にすることを要求するし、「友達」という言葉は自分に友達なんているんだろうかと考えさせてくる。でも詩は違う。詩の言葉は現実での対応物を必ずしも求めていない。「海と溶け合う太陽」という詩を、太陽が海に沈んでいるだなと考える必要はどこにもない。言葉を言葉そのものとして存在させられる場所があるんだと思っている。

「自分にとってのたからものはなんだろう」という問いかけはしない。「たからもの」という言葉はただ「たからもの」という言葉であってくれればいいと思う。

 

 役者2年 栫伸太郎

 

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劇団綺畸2021年度夏公演

 

『勿忘草』

作・演出 西山珠生

 

7月上旬配信予定

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