劇団綺畸稽古場ブログ

劇団綺畸は、東京大学と東京女子大学のインカレ演劇サークルです。名前の由来は「綺麗な畸形」。

「たからもの」と「宝物」

今回のブログのテーマが、「たからもの」、ということで、さっそく書き進めていきたいところなのですが、その前に少しテーマについて考えようかと思います。

 

このテーマ、漢字で「宝物」ではなく、ひらがなで「たからもの」であるところが憎いですよね。

 

僕自身、表現活動において、小説の影響が強い人間なところがありまして、言葉ひとつひとつについて伝わり方を考えるということをよくするわけなのですが、その中でも漢字を開くかそのまま漢字にするかというのは、特に注意するところです。今もこの文章を書きながら、言葉のリズム、改行のタイミング、使用する語彙などの要素と同様に、漢字の開閉について、めっちゃ気にしながら書いているわけです。

 

読みやすさはもちろん変わるのですが、それ以上にニュアンスの伝え方として、字面の違いはかなり有効な手段だと思います。

 

例えば、「可愛い」と「かわいい」と「カワイイ」と「カワイイ」と「kawaii」は、それぞれ全然違うものに感じたり。

 

文字しかない媒体の中でどうやって言葉にできないものを伝えるかというのは、古今東西の物書きにとっての永遠のテーマのひとつなんだろうなあ、と思います。

 

その点、演劇というのは真逆とも言えて、文字以外のすべての情報を観客と共有することができる。それが、僕的に演劇のおもしろいと思うところのひとつです。音も、匂いも、視界も、存在感や空気感すらも、変換を必要とせず、ダイレクトに伝えることができる。しかし、文字の情報だけは共有することができない。もちろん映像に投影することはできますが、若干邪道な様にも感じます。

 

話が逸れました。

 

とにかく、僕は、「たからもの」という文言に、「宝物」と違うニュアンスを感じたということです。具体的には、主観と客観の違いなのかな、なんて考えついたりもしますが。

 

さて、僕の「たからもの」について書こうか、と思ったところで、結構長くなってきたことに気づきました。もう原稿用紙2枚近く書いてるので、読んでいる方も疲れてくる頃かな、と思います。なので、これを前編、ってことにして、後編として別で書くことにしますね。

 

もしも僕の、心に浮かびゆくよしなしごとに興味を持ってくださる奇特な方がいらっしゃれば、ぜひぜひお楽しみに。

 

それでは。

 

 

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劇団綺畸2021年度夏公演

 

『勿忘草』

作・演出 西山珠生

 

7月上旬配信予定

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