劇団綺畸稽古場ブログ

劇団綺畸は、東京大学と東京女子大学のインカレ演劇サークルです。名前の由来は「綺麗な畸形」。

劇団綺畸で自分の作品を上演するのは3本目になりました。3本の中で、特に前回の「朝露を待つ」を書いてる時に思ったこと、そして今作「火咲く」を書いていて僕が思ったことを書き残しておきたいと思います。自分の頭の中にあるものをとりあえず体系化したいだけです。

 

演劇を書くものも人間であり、またさらには登場するのも人間であるということを忘れてはいけない。そして書き手と登場人物は限りなく、知り合い、いやもっと仲の良い友達関係でなくてはいけないし、したがって書き手は登場人物のことを最大限愛していなければならない。またもっと言えば書き手は登場人物に愛されなくてはいけないのです。じゃないと、登場人物が書き手に本当の気持ちを教えてくれないからです。本当の気持ちを教えてくれた時に、いい脚本がかける気がするんです。

 

でも、書き手は登場人物の人生を完全に左右します。その点で書き手は限りなく冷徹非道でいなくてはなりません。自分が愛し、愛された人の人生をめちゃくちゃにしてしまうのだから。

 

そうゆう点で、演劇の書き手というのは変態だなってとっても思います。自ら望んで、好きな人を苦しめていく。コレは好きな人を監禁するのに似ているかもしれない。もしくは毒親思考。支配欲なのだろうか。それともいきすぎた愛?しかし、僕は演劇の内容どうこうに関わらず、演劇の書き手が登場人物に致すこの行為自体がとっても美しいと思います。

 

今回も11人にわたる人間の人生をめちゃくちゃにしてきました。全員のことを愛してました。みんな僕を愛してました。彼ら彼女らと僕の関係はとても良好だったように思えます。しかし、僕は彼ら彼女らの人生を壊してしまいました。

 

とてつもない快感でした。

 

「火咲く」作・演出 新井孔央