劇団綺畸稽古場ブログ

劇団綺畸は、東京大学と東京女子大学のインカレ演劇サークルです。名前の由来は「綺麗な畸形」。

没個性化の中の個性

日本人は空気を読む人種だと一般的にいわれている。私は典型的すぎる日本人なため、空気を読むのが得意だ。世間では空気ばかり読んで自分の意見をはっきり言わないのは日本人の悪いところだなんていう人もいる。(そんなことをいうのも時代の空気に飲まれて行っている感は否めない)

けれど私は空気を読むのが悪いことだなんて全く思っていない。誰かが空気を読むことで世界がうまくまわるならそれでいい。「空気を読むのが得意です。」これは自慢できるポイントとしてあげてもいいほどだ。空気を読めるということは、自分の置かれている環境にすぐに適応できるということだ。つまりどのような環境に置かれてもうまくやっていける能力というのが空気を読むということになる。「空気を読める」=「環境適応能力が高い」と考えると空気を読めるというのも日本人の美徳のように思える。

空気を読むのが得意な私はもちろん環境適応能力が高い自信もある。思えばこの一年、変則的なことばかりだった(と巷では言われている)が、私は特に苦もなく、むしろ楽しく日々を過ごせた。周りからは「今年の大学1年生はかわいそうだね」と何度も言われたが、(そしてもちろん私は空気を読んで「そうですねぇ」と答えたのだが)実際は「ん?何か大変なことあったっけ?授業がオンラインなおかげで単位をとれたし、オンラインで活動が浅い分色々なところに顔出して知り合いも増えたし?」と思っていた。「どんな状況でも人間楽しくやっていける。」20年生きてきて唯一悟った解がこれだ。

話はそれるが「空気を読んでばかりで自分の意見を言わない」という一般論に一点物申したい。空気を読める人はむしろ適度に自分の意見を言う。だって誰か意見言ってよ!という空気を察しているから。自分の意見を言わないのは空気を読んでいるのではなく、単純にコミュ障かあまりにも自身がないかただ無関心なのかだ。

ここまで読んでくれた人はお分かりだろうが、これはとんでもない駄文だ。結びの言葉すら思い浮かばない。この長文の内容は実は一文でまとめられる。「私は空気を読むのと駄文を錬成するのが得意ですが文章をきれいまとめる能力は欠如してます。」これ以上書いても自分の心の内をよりさらした後で読み返して後悔しかしない文章が出来上がりそうなのでここでタイピングの手を止めようと思う。ここまでよんでくれた人には、貴重な時間を使っていただいたことへの感謝の意しかない。