先日読んだある人のブログに、「サードプレイス」という言葉が出てきました。
自宅をファーストプレイス、学校や職場など自宅以外で長時間過ごす場所をセカンドプレイスというのに対し、個人にとって心地よく過ごせる第3の居場所のことを、サードプレイスというようです。
ブログには、本来、存在する場所や空間を指すサードプレイスが、実は心の中にもあるのではないかと書かれていました。
他の誰にも邪魔されない心の中のサードプレイスには、信念や思考、大切にする物達を、他者による侵害から防ぐ為にそっと閉じた宝箱があると。
貴方にはその宝箱がありますか?
貴方のサードプレイスは何処に、どんな物がありますか?
そう問いかけられて、私も私の宝箱を探してみようと思います。
なにせ今回の稽古場ブログのテーマは「たからもの」。ぴったりではありませんか。
心の中の宝箱は、きっと私にもあります。
でも今、私の宝箱はたぶん、埃や土を被っていて、紙きれしか入れられないような隙間が蓋の間に開いているだけです。
子どもの頃は全開だった宝箱は、大人になるにつれ、「○○だから○○しなきゃいけない」なんて価値観という名の埃と土に埋もれてしまったように思います。
お姉ちゃんだから、
小学生だから、新聞委員会の委員長だから、
中学生だから、吹奏楽部だから、一人だけのファゴットパートだから、先輩だから、
高校生だから、パートリーダーだから、受験生だから、
大学生だから、若者だから、二十歳だから、
昔はこれが好きだったから、いつもこれが好きだから、
こう思われてるから、こういう性格だから、こういうキャラだから、
そんな埃と土がいっぱい重なって、
今宝箱の少しの隙間を通る、大好きだったり大切だったりする“たからもの”は、すごく限られてしまっています。
でも、“たからもの”ってきっと、誰かに縛られたり、自分で決めつけたりするのもではないはずなんです。
小さい頃、机の下の足元に置いていた、お菓子の空き缶の宝箱には、
アリエルのロケットペンダントや200円のガチャガチャで手に入れたオレンジの石のネックレス、ビーズの指輪やチェーリング、おばあちゃんにもらったストラップやアクアビーズ、外国のお金だと思っていたゲームセンターのコイン、
そんなものを入れていました。
今蓋のほとんど開いていないサードプレイスの宝箱を開けたら、きっとそんなものが出てきます。
そういう宝箱なんだから、きっと今も何を入れてもいいはずです。
変な価値観にとらわれず、埃と土に邪魔されずに、宝箱の蓋を全開にしてもいいはずなんです。
そんなことに気が付いたので、まずはほうきとスコップを持って、宝箱の埃と土を払い、蓋を全開にした宝箱に、これからたくさんの“たからもの”を入れていきたいと思います。
P.S.
そういえばこの稽古場ブログを書くのはこれが最後なのでしょうか。
駒場小空間で公演を打てたのは、入ったばかりの夏公演と、19個のオムライスを錬成しママと呼ばれた夏合宿と、新人公演への期待と不安を抱きながら迎えた冬公演だけでした。
そう考えると寂しいものですね。
またあの小屋で、あの一週間のあの空気を感じたかったです。
でも綺畸での思い出は、蓋の開いた宝箱にちゃんとしまうことにします。
いつかまた、駒場小空間での劇団綺畸に関わることができるのを願って。
P.S.のP.S.
稽古場ブログが最後だと思うと色々書きたくなりますね。
ということで(ということで?)明日、ばっさりと髪を切ろうと思います。
そのために伸ばしていたわけではないのですが、ヘアドネーションができるくらい髪が長くなりました。
小屋入りの頃にはこけしみたいな頭になっているかもしれません。
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劇団綺畸2021年度夏公演
『勿忘草』
作・演出 西山珠生
7月上旬配信予定
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