ドアを開けると、春だった。
雨上がりのむせ返るような匂い、陽射しで水蒸気が立ちのぼる、身体が梅雨かと錯覚する。土か、アスファルトか、草木のものか、全身の肌が一瞬身構え、ゆるゆるとほどけていく。
私は昨日の叩き場の風を思い出す。髪の毛が持っていかれそうな速い風。マスクをポケットにつっこんで、顔面を流れにぶつけた。奥行きのない空は一面グレーが低くのしかかってきて、なにか淋しげな、肌寒さ。日暮れの青みを帯びた空気とオレンジの街灯を眺めた。散った桜が白く浮かび上がっていた。
電車に乗って、窓の外をみる。
世界がきらきらと輝いている。白い反射が飛び散って、私は思う。昨日までとなにか変わった。少し浮かれたような気持ちの後に、わたしひとりがとりのこされているような憂鬱。
キャンパスに人が歩くのをみる。緑。若い緑。薄桃色の花びら。鳥のさえずり。白い雲。拡散する光。学生たち。新入生たち。タイムスリップしたような感覚。
昨日とは打って変わって明るい叩き場。
じりじりと熱くなる皮膚。工具の音。そよ風が肌に心地よい。
でも一昨年と同じでは決してないんだと、マスクを手に考える。私はなにか、新しいなにかをつくるのだろうか。
日光がふと弱まって、雲の動きをみる。ひとまず作業に戻ろうかと、ペットボトルの蓋をしめる。
ここは、春です。
2021.3.29
叩き場の民