劇団綺畸稽古場ブログ

劇団綺畸は、東京大学と東京女子大学のインカレ演劇サークルです。名前の由来は「綺麗な畸形」。

「半分好きで半分嫌いなもの、5つ答えろ」「ホンマごめん、DTM」

「半分好き、半分嫌いなもの」について書け、と言われて私が思いついた対象は実のところそう限られていたわけではなかった。「地元」や「腐れ縁」、「大学」や「バイト」など、身近なものであればまあいくらでも思いつく(「大学」はどちらかといえばやや「嫌い」の方向に傾くが)。ただその中でも、自分自身の中でも最も分かりやすく愛憎の念が入り混じっているように感じられ、なおかつ私の日常生活の最たるものを占めているのは間違いなく「曲を作ること」、とどのづまりDTMである。この記事ではそれについて少し長めの自分語りをさせてもらおうかと思う。

 

私がDTMを始めたのは高校1年の冬ごろ、ちょうど日本で新型コロナウイルスが猛威を振るい始める直前ぐらいのことだったと思う。きっかけは当時ハマっていた音ゲーの音楽に刺激されて自分も作ってみたくなった、という昨今では至極ありふれたものである。当初は曲ができるたびにとにかく誰かに聞いてほしくて、母親に半ば無理矢理聴いてもらったり友達にDMで送りつけたりもした。今思い返すと「アレを自信満々に聞いてもらおうとしていたのか…」と中々背筋に嫌なものが走る思いである。とまあそこから1年くらいは細々と曲を作っては嫌がる身内に聞いてもらいつつ、しれっとSoundCloudに公開して伸びない数字を眺め続ける日々が続いていった。

 

始めてから1年半が経った2021年の夏、とある開発中のスマホ音ゲーの楽曲公募が開催され、ものは試しと(もちろん当時の自分の全力を注いだとはいえ)ダメ元で作品をひとつ送ってみたことがあった。募集締め切りからしばらく時間が過ぎ、心の中では淡い期待を抱きつつも「まあ募集件数めちゃくちゃ多かったしなぁ…」と半分以上は落選してくるであろう作品をどう供養をしてやろうかという算段を立てていたのだが、ところがどっこいだいぶ遅くになって採用通知のメールが来てしまったのである。もう飛び上がるほど喜んだし多分普通にボロボロ泣いた。お母さんにも大声で報告した。お母さんすごい微妙な表情してた。ちなみにその曲が実装される予定のゲームはこの記事を書いている2023年2月現在も開発の延期に重なる延期が発表されており、完成される気配を微塵も感じさせない。気長に待ちつつも、せめて苦労して作り上げた我が子が日の目を見る日が来ることを祈り続けるばかりである。

 

さて、この話はここまでではただの自慢話だし、事実少しも誇らしく思っていない訳もない。しかしまた一方でこの経験が自分の中の曲作りに対するハードルを半端に上げてしまったのもまた本当の事で、今まで曲を作るにあたって「何某かの形で評価される事」という動機を覆い隠してくれていた「自己満足」のラベルがここですっかり剥がれ落ちたように思う。気づけば新しく作った曲を公開したり、公募に出したりしてみても、完成した達成感や満足感よりも伸びない数字や落選へのショックが勝るようになってしまった。それなのに曲作り以外のライフワークをすっかり忘れてしまった身体は結局毎日惰性でDAWに向かってしまう。始めた時に「このくらいまで作れるようになればいいかなぁ」と適当に見積もっていたゴールラインはもうとうの昔に通り過ぎてしまったのかもしれない。それでも作れば作るほど現状の努力や熱意に反比例して自分の作品に求めるクオリティは貪欲なまでにグングン上がっていく。それを繰り返していった結果、本気の作品を一つ生み出すのにかかる時間と作業量は青天井に大きくなる。誰も得しないこの負の連鎖を抜け出せそうな糸口は、今の所見つかりそうもない。

 

誤解を招かないよう明言しておくが、私は「音楽」そのものについては一点の曇りもなく100%「好き」だと自信を持って言い張ることができるつもりである。音楽がなければ私は生きていくことができないだろうし、多分猿轡をはめられ手足を拘束されるよりも両耳に耳栓をぶち込まれる方がよほど辛い。苦しい時にでも自分はいつだってお気に入りの楽曲たちに支えられて生きてきた自負がある。その一方であまりに好きな音楽や刺激的な音楽にぶつかると、作り手としての立場とリスナーとしての立場の間にジレンマが発生して「好き過ぎて聴けない」現象が起きてしまう。Twitterで「やべ〜w」という実に薄っぺらい一言とともに気に入ってしまった曲のリンクを垂れ流す日々の私の所作の裏側にはそこそこの苦しみが内包されているのだ。つくづく難儀な生き物である。

 

正直な話、これまでに書き綴ってきたほど自分が音楽にのめり込めているのかといえば実はそうでもないかもしれないし、ちょっとカッコいいことが言ってみたかっただけ、という節があることもまあ否めない。ただ今の自分はDTMなしに日常生活を送るには長い時間と労力、費用をかけ過ぎてしまった。たかが3年と数十万円と言ってしまえばまあそれまでだが、こいつらをスっと生活から抜き取ってしまうと残るのは人の形をした粗大ゴミがたった一つである。上記の黛冬優子もびっくりのクサい自分語りも全くの嘘八百というわけではない…と思いたい。

 

まとまらない自分語りはこれくらいにしてそろそろ筆を置かせていただくこととしよう。はてさて、音楽活動の延長線上にあるものとしてこの劇団で始めた舞台音響という仕事も、ゆくゆくは同じような存在になってゆくのだろうか。それが恐ろしくもあるし、そこまでの深淵に自分がたどり着くことができるのだろうかという疑念も尽きない。いずれにせよ、音のない日常生活を自分が送ることになる未来がやってくるとしてもそれは遠分先のことになりそうだ。