劇団綺畸稽古場ブログ

劇団綺畸は、東京大学と東京女子大学のインカレ演劇サークルです。名前の由来は「綺麗な畸形」。

おいさらばえる

幼稚園とか、小学校の頃とか、何かにつけて親への感謝、家族への感謝を表明させられた覚えがある。残念ながら、私の自我が芽生えたと自覚しているのは中学生後半か高校生前半であり、それ以前の記憶が朧気である。そのため、私の手紙や似顔絵に家族が感涙していたかを確かめる術が無い。

 

父方の実家、祖父母の家に行った。なんとか稽古の隙間を見つけ帰省した。

祖父母はN市の山奥に住んでおり、そこに行くには車で片道二時間はかけなければならない。最近新しい道路ができて私の実家からN市へ行く道はかなり簡単になったが、それでも長い長い道のりである。

 

私には、父、母、姉、弟がいる。N市に向かうため実家で車に乗り込んだとき、運転は母、助手席に父、後部座席には右から順番に弟、姉、俺が座った。

 

気持ちが悪かった。もうみんな図体が大きくなってしまったものだから、全員で車に乗り込むと否が応でも肌が一部が触れ合う。母が「車の窓を開けると耳が変になる」と嫌がり、窓を開けない。耳障りな父の声で発される、至極つまらない質問。上下の振動。気持ちが悪かった。

 

俺はいつから家族が無理になったんだろう。なぜ、俺はこんなに家族が無理なんだろう。

 

スマートフォンを買い換えたらイヤホン穴がなく、私はType cのイヤホンを持っていないので音楽を聴くことができなかった。車酔いのために本も読めない。ゲームをしていて、自分の好きなことがバレるのもいやだ。ただ、ひたすら、窓の外を流れて行く、和かで、どこか家族の温もりを感じさせるような古民家と、解放感のある田園風景と緑の山を眺めていた。二時間。救いは、家族の中で唯一、話ができると思っている姉のとなりに座っていたことだけだった。

 

祖父母の家に着くと、新鮮な山の空気が美味しかった。祖父母は優しく、楽しく、教養深くて多趣味で、非常に尊敬のできる人々だ。

 

次第に、祖父母と再開して緩んだ嫌悪感が復活してくる。

「散歩に行く」とだけ伝え、祖父母の家の裏山に一人登った。山の中腹には神社がある。屋根の着いた立派な土俵があって、小さな社がある。道中には木苺もあったはずだ。懐かしさに急かされながら、その日初めての軽やかな足取りで山を登った。

 

土俵に屋根はなかった。土俵は苔むしていた。

 

散歩を終え、祖父に神社に行ったことを伝えた。屋根がなくなっていることを聞いた。

どうやら、神社の管理をしていたおじいさんが亡くなり、その娘は東京に出てしまったのでもう「お清め」をできる人がいないそうだ。一応祖父が日課として山を登り掃除しているらしいが大したことはできず、屋根は朽ち、取り壊すことになった。土俵も、苔が生えていくことを止められなかったそうだ。祖父が「水神様」と呼ぶ神社の社には、祖父の好きな日本酒のカップがあったのを思い出した。

 

東京に帰ったあと、ふと思い立ち、祖父の家から辿って神社のストリートビューを見た。神社はグーグルマップに登録されていなかったので、神社の名前を記入して、登録の申請をした。グーグルマップから見られる写真は、まだ屋根がある頃だった。