劇団綺畸稽古場ブログ

劇団綺畸は、東京大学と東京女子大学のインカレ演劇サークルです。名前の由来は「綺麗な畸形」。

或る出来事について

5月だった。

春先に祖父が亡くなって2ヶ月が経とうとしていた。

今日の夕方、今度は祖母が亡くなった。

 

 

祖父の場合、それはいささか唐突な死だった。饒舌でいつも健康だった祖父は、最後の夜に襲った、腹の激烈な痛みを父に訴えた後息を引き取り、生活するための一切の言葉を失ってしまった。東京でのうのう春休みを過ごしていた私は、突然の報せを受け、二日酔いで寝不足の身体を引きずり故郷へ帰った。「いずれ人間は死ぬのだ」という臆病が五臓六腑に染み付いた。

 

悲しみに打ちひしがれる間もなく、親族はかなり慌ただしく動いた。火葬場にて遺体が焼かれるに至った。父がボタンを徐に押し、無機質な機械音が肉体の焼かれる瞬間を告げた。すすり泣く声があちこちから聞かれ、ひとりの人間のからだが喪失することを思い知った。祖父は、死んだのだった。

 

お骨を拾うとき、泣いている人間はもう誰もいなかった。足腰が丈夫だったねえ、硬くてうまく砕けないわ、と陽気なおしゃべりを繰り広げながら、みなひたすら骨を砕いた。それからお墓にお骨を埋めて、慌ただしい儀式の1日が終わった。私はかなりの空腹を感じていた。その日の夜は、夕飯をたらふく食べた。精進料理の茹でた蟹の身がとても美味しかった。祖父は最後の晩、何を食べたのだろうと考えていた。

 

 

 

祖父が亡くなったのは宣言の出る前のことだったので、周到に対策して帰省することができた。通夜にも葬儀にも参列した。宣言下の東京にある今の私は、演劇の公演を控えている身ということもあって、結局帰ることができなかった。祖母は長い間病を患っていた。だから正直なところ覚悟はしていた。だが、報せが届いたときにはただ立ち尽くすしかなかった。祖母には最後会うことができなかった。結局、通夜にも葬儀にも立ち会えなかった。

 

夕食が手につかない。

葬儀や手続きの慌ただしさにかまけて、気持ちを和らげることもできない。骨を砕くその瞬間に立ち会って、故人への悲しみを、生の使命感へと切り替えることもできない。

部屋にたった一人だった。

午後10時30分。課題もまだ残っているし、明日の予習もバイトの準備もある。四方の壁で寂しく隔離された部屋の中、孤独な息遣いを共有する人間が、誰でもいいから欲しかった。静寂があちらこちらを走り回っていて、部屋はとてもうるさかった。耐えられない気持ちになった。

夕食が手につかない。

 

 

 

小さなころ手を引かれて歩いた巨大なスーパーマーケットを、

カラオケで一緒に歌った簡単な童謡を、

真夏、2人の部屋から聞こえてくる相撲の実況を、涼しげな風鈴の音を、

学校から帰るといつもテーブルに置いてくれていた三ツ矢サイダーを、

半年に1度奮発して家族で出掛けた回転寿司を、

大学に合格したことを伝えると心から喜んでくれたあの日のことを、

上京してからもまめに送ってくれた達筆な手紙のことを、

たった2ヶ月のうちに逝ってしまった2人にまつわるすべてのことを、

僕はいつまで覚えていられるのだろう。

 

あれは小学校の頃、ぼくが風邪で寝込んだとき、精をつけるためにと祖母が作ってくれた、ごくふつうの白飯と、簡単な焼肉と、少しだけ味の濃いお味噌汁は、あれはほんとうに美味しかった。お肉と一緒に盛られたキャベツの千切りだけはちょっと苦手だったけれど、ぼくはその時、がんばって食べた。でも、その食感はびっくりするくらい優しかった。おばあちゃんはその時ずっと嬉しそうな顔で、ぼくが食べるのを眺めていた。おじいちゃんが買ってきた高いお肉だよ、と言った。おじいちゃんもまた、得意げに、ぼくの食べるのを見ていた。ぼくはすこし恥ずかしく思いながら、お味噌汁をすすった。

あれはほんとうに美味しかった。

 

 

お腹がすいてきた。

何かを口にしたいと思った。

何か食べたい。

何か欲しい。

何か。

何か。

何。

 

 

 

祖母は、最後の晩、いったい何を食べたのだろう。

 

 

 

 

 

12時前になって、ようやく、セブンで麻婆丼を買ってきた。前より量が少なくなっているのに気がついて、ちょっとだけ萎えた。

 

明後日が告別式だそうだ。祖母の肉体の焼かれるのを、遠く東京から、同時刻に感じ、そして祈ることが、実際に葬儀場へ赴くのと同じくらい強く弔いの意を持つのかどうか、僕にはわからないが、それでも逃れようのない事実として、祖母はそのとき、紛れもなく死ぬのだ。

 

僕にいまできるのは、こんなグチャグチャの気持ちを文章にしてしまった後に、麻婆丼をかっくらうことぐらいだった。インスタントだがお味噌汁も作った。分量を間違えてお湯を入れ過ぎたのか、味は少しだけ薄かった。

 

 

 

 

 

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劇団綺畸2021年度夏公演

 

『勿忘草』

作・演出 西山珠生

 

7月上旬配信予定

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