劇団綺畸稽古場ブログ

劇団綺畸は、東京大学と東京女子大学のインカレ演劇サークルです。名前の由来は「綺麗な畸形」。

恋愛って何だ?

恋愛物の作品を好んで見たりするにも関わらず、恋愛っていうものが未だに分かりません。

体感したことがないっていう表現の方が近いかもしれないです。

 

独占欲はあります。すごく人に執着しますし、めちゃくちゃネトストします。でも、向こうが自分のテンションを理解してくれた途端冷めます。氷点下です。急に興味無くなります。急にどうした?って感じですよね。

 

こんな人間なので恋愛って何だ?状態です。

将来孤独死待った無しな人間です

ふつおた

このブログを読む皆さん、そしてカズーイさん、どうも。

 

世の中には、水商売や風俗業に身を置く女性が多くいます。そしてそういった女性は世間一般で、キャバ嬢・デリヘル嬢・ソープ嬢・ピンサロ嬢...というように「〇〇嬢」と呼ばれます。

お高くとまっている女性を「お嬢様」というように、時にマイナスに使われることがありますけど、「〇〇嬢」の単語においてはそういった意味はなくて単純にプラスな「お嬢様」の意味をつけてくれているように思うんです、私は。

 

そんな感じで、「〇〇嬢」という呼び方は女性をワンランク上げてくれる言葉なワケです、いいよね。だから色んな女性にこの呼び方をすれば世界が明るくなると思うんですよ。

 

朝起きたら「起き嬢」だし、ご飯を食べたなら「食べ嬢」、寝たら「寝嬢(しんじょう)」になります。東大で「優」の成績を取れば「優嬢」になれます。ほら、ワンランク上がったでしょ?

他にも、ヒャダインの曲が好きな女性は「じょーじょーゆーじょー嬢」と言えますし、ちびまる子ちゃんでの推しが山田だ!という女性は「山田だ嬢」。

そして、ToLOVEるの作者の奥さんは「矢吹嬢」になるわけですね。まあ、「元矢吹嬢」は不倫をカマして炎上したせいで燃え尽きちゃったんですけど。この「嬢」に関しては例外でドマイナスな意味があることを認めます。さーせん。

 

例外があったものの、おおむね大丈夫なはずです。ってワケで、男性にもこんな感じで呼んであげるべきなんですよ。ん〜例えば...「〇〇漢(かん)」なんてどうでしょう?

芸人のキングコングが好きな「キンコン漢」、南海キャンディーズが好きな「南キャン漢」、いいじゃん!んで、横浜生まれの男性は「ハマカーン」と...なんか1位取れそうですよね!

 

男性はみんなワンランク上の男を目指すものです。そんな男たちの目指す先はただひとつ、男の中の漢...「男漢」...そう!あのダンカンさんなんです!そんな人に「バカヤロウ」なんて言う人は論外ですよ、もう。

 

脱線しちゃいました、すいません。とにかく何が言いたかったかというと「〇〇嬢」「〇〇漢」でワンランク上げればハッピーになれるってことです。てかいっそのこと「男」「女」を「漢」「嬢」に変えちゃいましょ!

あの曲も「漢嬢漢漢嬢漢嬢」に...やば、字面からハッピーがあふれてくる...

 

 

頭に?が浮かんでた皆さん、耐える時間は終わりです。よく頑張りましたね。長々と意味わかんないこと並べてすみませんでした。

囲碁将棋の情熱スリーポイント」という好きなネットラジオを聞いていたら書きたくなっちゃって、ごめんなさいね。ラジオには言葉遊びのふつおたがたくさんあるので、私の投稿をキモイと思って読んでた方は聴いてみてください。面白いしフォーマットの謎も解けるんで。

 

以上、「情熱嬢」のひとりごとでした。ここまで読んでくださった皆さん、そして「バンジョー嬢」ことカズーイさん、ありがとうございました!

『火咲く』を読んで

『火咲く』を読んで、通しを見た感想を、ネタバレに気をつけながら書こうと思います!

 

一言で言うと、決して幸せなハートフルストーリーではないです。自分の言いたいことやりたいことを他人に押し付けて、すれ違っちゃう様子が見てて悲しくなりました。日常生活では絶対人に言わないような憎悪・拒絶を全面に出してぶつかり合う登場人物達を見ると、辛くて仕方なくなりました…

 

イメージで言うと、心に傷を抱えてる人たちがぶつかって、傷口がらどんどん悪化して、新しい傷まで作って、出血多量になっちゃったり、膿んだりしちゃう感じをイメージしました。

 

誰か絆創膏を貼ってくれる人はいないのかー

って思いました。

 

現実でもそういう人多い気がします。みんな知らないうちに心に傷を抱えてて、そもそも気づかない人もいるし、器用に手当する人もいると思います。でもほとんどの人は、古傷やかさぶたがたくさんあって、何かのきっかけで再び血が滲んで苦しんでいるんじゃないでしょうか。

 

そんなことを考えたら、この作品の親近感が一気に増した気がします!

 

 

でも私は、『火咲く』はただドロドロで辛い演劇ではないと思ってます。お互い傷つけ合いながらも必死に抱きしめようとしてる気持ちが伝わってきて、そのバランスが絶妙だと思います!

 

ただただ冬公のPRみたいになっちゃいましたね笑

あくまで個人の感想なので、人によって全く違う見方ができる作品だと思います😊

 

畸の冬公演、楽しみにしててください〜

「火咲く」とは何か(あるいはおいしいずんだシュークリームとインスタントコーヒー)

 「火咲く」についてネタバレをしないで書くなんてことができるのか......? としばらく悩んでいるととある作家のエッセイを思い出しました。「就職で、自分について1200字で書かなくてはいけません。そんなことは不可能に思えますが〇〇さんならできてしまうことなのでしょうか」という質問に対して彼は「カキフライについて書けば良いと思います。1200字は、自分を書くには短いですが、カキフライについて書くならちょうど良いと思います。自分とカキフライの関係について書けば、おのずと自分を書くことにもなる」と答えたそうです。

 なるほど! では今から、私のパソコンの横にあるずんだシュークリームとインスタントコーヒーを「火咲く」だと思って語ってみます!

 まず初めにほんのりコーヒーの香り。今までに買ったことのないお高めの種類なのでちょっと新鮮。次に、飲んでみると結構苦い。舌の先がちょっと火傷したみたい。それでも繊細なお味。それからずんだシュークリームを一口。ずんだの主張が強くて口の中が騒がしい。ちょっとしょっぱい。クリームをコーヒーで流し込む。続いて、冷蔵庫から牛乳パックを持ってきてコーヒーにひと注ぎ。混ぜ棒を持っていないのでカップを揺らすのみ。なかなか混じらない黒と白。うーんマイルド。シュークリームを口に放り込んで、うんめぇうんめぇ。包装紙を丸めてゴミ箱に投げるが、入らない。まあいいや。ごちそうさま。

初めてのブログ-火咲く-

 ブログとかそういうものを書いたことが無いので、どのように始め、終わらせるのかがぜんぜんわかりません。調べるのも面倒なので、このまま書くことにしました。なので、ほかの人と比べて読みにくさを感じたり、ブログの体裁を無視しているように思ったりしたとしても、素人が書いたものなので、仕方ないと思ってもらえると嬉しいです。

 

 今回のテーマは、タイトルでもある「火咲く」だそうです。もう少し普遍的な単語であれば書きやすかったのにと思ったり、思わなかったり...。ともかくこの名前を聞いて、最初に連想したのは、‘‘花火‘‘であった。こういう時にもう少し面白い単語とか情景が思い浮かぶような人間だったらもう少しコミュ力が高いのだろうか。話がすぐ脱線するのもよくない癖だと思う。

 

 話を戻します。最後に花火をやったのは何時だっただろうか。それこそ子供のころは、祖父がひと夏では消費しきれない量の手持ち花火をわざわざ花火問屋で買って、プレゼントしてくれていた。毎週末、兄弟や幼馴染らとやっていた記憶もあるが、いつしかやらなくなってしまっていた。そのような近所付き合いに対して、少し煩わしさを感じ始めていた年齢からかもしれない。当時は何も思わなかったが、今になってみると、その時でしか得られない何かがあった気がして、少し寂寥感がある。 実は夏合宿公演の後に打ち上げと称して、同期で花火をやろうという話があった。久しぶりの花火に心を躍らせていた自分がいることに、その時驚いた。

 

 また、打ち上げ花火を花火の代表格だと思っている人も多いだろう。しかし、自分はなぜかこの道を通ってこなかった。近くで花火大会が無かったというわけではない。見る機会は幾度としてあったはずであるし、実際は見たことがあるのかもしれない。でも、なぜか心に残っていない。自分の中にある打ち上げ花火のイメージは何時だって、文章から得られるものであった。だから、花火大会でロマンティックな雰囲気になる理由が全く分からなかった。そんな自分の考えを砕く作品に最近出会った。それは「その着せ替え人形は恋をする」という作品のアニメの第12話であった。ハチャメチャにきれいで、これはロマンティックな雰囲気になるわと納得させられてしまった。

 

 と、今回の公演内容に一切触れずにここまで文章を書いてしまいました。まだ読んでくださっている方いるのかな?(笑) 自分は役者ではないので、演技が、演出がどうのこうのと言える畑の人間ではないです。なので一言だけ、来ていただいて後悔はしないと思います。脚本を読んで、通しを見て、これは人に勧めたいと自信をもっていえると思います。

 

  ブログってこんな感じでいいのかな。分からないなりに書き上げてみました。これを読んでくださった人が一人でも来場してくださったら嬉しいです。お待ちしています。

ヒサクと聞いて

私が初めて『ヒサク』というタイトルを聞いた時、すぐにその漢字を思い浮かべることが出来なかった。1文字なのか、それとも2文字なのか、2文字ならどこで切れるのか、全く想像がつかなかった。これはひとえに私の言語能力の低さゆえの出来事であるが、このような経験をすることは多々あるのである。当時、『久ク』『秘策』『日作』等々さまざまな文字列を思い浮かべた。しかし、面白いことに一度正解の文字列を見てしまうと、その漢字であるとしか思えなくなってしまうのである。現にたった今上の誤字を思い出すのに大変な労力を費やした。人間の言語把握は不思議なものだと感じる、

嫌いなものについて

パラリンピックの開会式を見た。すごく面白かった。でも、アナウンサーの解説がキモかった。

「〇〇さんは事故で半身麻痺になりました!」

「〇〇さんは先天的に右腕がありません!」

黙ってろよって、わかってんだよって、嫌だった。何アピールしてんだよって。

 

「可哀想だね、でも頑張ってるね、凄いね、泣けちゃうね」って。黄色いシャツの人間がテレビに出る時期になると日本中にキモい空気が蔓延していくのが、僕には耐えられない。

 

多様性って言葉が嫌いだ。健常者とか、ストレートの人とか、そういう普通から外れた人ってずっと前からいたのに、最近現れた概念みたいに騒ぎ立ててる。障害じゃなくて障がい、障がいでもなくて個性。俺たちは多様性認めてますよー、新しい時代についていけてますよーって鬱陶しい。

 

異なる何かを受容している認めているというポーズを周りに見せるために取っていて、その実その差異を当人が最も意識し存在させ、より高い隔たりを無意識のうちに形成しているのではないかと思う。

 

言葉にすることで隔たりや誤解を生むのなら、言葉なんてないほうがいい。でも、生きていく上で何かを伝えることは必要で、ジェスチャーとかだけだと足りないから言葉を使うしかない。だから、発語するときにはいろんな躊躇いが要請されるのだと思う。いたずらに人を傷つけないか、これは傲慢じゃないのか、自分はこんな単純な言葉に還元できるものだったのかとか。不幸にして、俺は無神経なものだからあまり躊躇いとかは無いけど、多分役者として、あと、脚本を書くときとか、必要なことなのだと思う。

 

 

とにかく、冬公演に来てください。駒場で一番面白いのは綺畸だって、ずっと思ってることだけど、自分の口から発せられるように断言できるようになるので。執行代が変わったらレベル落ちたねって言われたくないし、ここで頑張ります。

 

あと、戯曲を書きます。新人公演で作演出に挑戦します。他の作演出候補、特定の個人だけど、対戦よろしくお願いします

 

(文責:役者・甲斐敬識)