劇団綺畸稽古場ブログ

劇団綺畸は、東京大学と東京女子大学のインカレ演劇サークルです。名前の由来は「綺麗な畸形」。

雑文(アーモンドのつまったチョコレートのまるい光沢)

絵を描くのが好きだ。いろいろ考えはしても、ペンを、絵筆を握れば心が躍り、ひとたび白い画面に景色が見えたなら食べるのも忘れて描き続けるわけだから、なんのかんの、好きなのだと思う。描きながら〈あたし、生きてるなあ〉なんて本当に思うんだから、必要なのだとも思う。あるいは、そう思いたい。そう思えなくなるのが怖い。(金属的なノイズの入り混じる情景?)
だからきっと、私は逃げ出すのだ。描くときには生きていると感じたいから。描くことから私は目を逸らし続けていて、描くことに私はしがみついている。そう言い訳して、不自由のなかをもがいている。そうすれば私は、描くことで自由を求められるから。

 

ことばが恐ろしかった。ずっと、ずっと、ことばに憧れてきた。(いきものの死骸を数歩離れたところから枝でつついている子ども)ことばは硬く鋭く、ことばは脆く軽く柔らかで、ことばは絡めとる、ことばは引っかかる、ことばは煮えたぎる、ことばは——(蔓植物の強固な繊維、安直なイメージ)

詩を書いた。詩は、歌だから。口ずさんだ。
詩を描いた。たぶん、画用紙に伸びる水性ペンの曲線とどこか似ているから。筆先から垂れた絵の具が水に滲む感覚と近いところがあるから。
詩の中で、私は自由を錯覚した。違うと気づいたとき——私は再び絵筆を取った。私は喜びに浸り、そしてそれが虚像かもしれないと戦慄して。(瓶に立てた絵筆を床に叩きつける)なにものかになりたいから、なにものにもなれないのか。なにものでもなく、なにものにもなりたくなくて、それでもなにものかではあるのか。(鏡のなかのだれかに必死に視線を送る道化)

 

ひとつ、芝居を書いた。
沼底の泥のような淀みを、白く透き通ったひとつの景色にしようとした。少しだけ、ことばが私に微笑んだ、気がした。

 

〈私は、絵を描きます。最近は脚本書きます。〉

 

 

宣伝美術3
西山珠生