劇団綺畸稽古場ブログ

劇団綺畸は、東京大学と東京女子大学のインカレ演劇サークルです。名前の由来は「綺麗な畸形」。

さいころから漠然と憧れがあった。

ずっと将来の夢を聞かれたときは答えていたし、「将来の夢」の工作で自然とそれを模したものを作っていた。

 

将来の夢に向かって人はどの年齢から努力を始めるのだろう。思い立ってからすぐに始める人ももちろんいるが、大体の人間は高校、大学あたりの職業への進路が具体的になってから始めると思う。もちろん自分もそうで、色々なことを経験した方がいいと思っていた。

 

ある時から口に出すのに自信や実績が必要になった。何も始めていない自分は自身も実績もない。だから、馬鹿にされたり傷つくことを恐れて口に出すことができなくなった。嘘で塗り固めて奥に隠したから卒業文集に書かなかった。

 

隠したものは簡単には外に出ない。だから、自分が向き合って意識することも減った。好きなものを馬鹿にされるのはつらい。馬鹿にされても嫌いになるわけではないけど、好きの強さというかきらめきのようなものは確実に小さくなる。それほど好きではないから好きを貫けないといわれてしまえばそうなのかもしれないけれど、自分はそうであったから仕方ない。だから、一層奥底にしまい込んだ、うっかり外に出して輝きが小さくならないように。高校生の時始める機会があったのに結局勇気が出なくて惰性で中学でやっていた部活に入った。高校生まで来ると、新しいことを始めるにもそれ相応のハードルができてしまっていた。そうして、さらに外に出す機会を失った。

 

大事にするために隠したのに、ずっと放置しているだけになって「たいせつなもの」という名前だけのものになって考えることも減っていった。だから、すでに輝きが鈍っていたことに気づけなかった。

 

そして就職が具体性を持ってしまった。もうここで飛び込まないと関わる機会がない。このままずっと隠し通して、死ぬ間際に「実はずっとやりたかった」と後悔することになる。そんな悪夢に突き動かされるように慌てて始めた。運よく就職前に始めることができた。でも、そこにはずっと前から始めていた人や情熱的な人がいて、自分はその人たちほどの熱を持てなかった。周りと会話がかみ合わない焦りとか上手くできない悔しさでぐちゃぐちゃになった。しかし、それを解消するための努力をできるほど勤勉ではないし、熱もなかった。色褪せた憧れではのめりこめない。

 

どこで間違ってしまったのだろう。始めるのが遅かったのか、最初に願った時点で始めてみればよかったのか。高校で勇気を出せばよかったのか。そもそも夢自体が錯覚だったのかもしれない。仮定を言っても仕方ないのだが、臆病で怠惰な者に夢を追う資格はなかった。

 

 

将来の夢はありません